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東京五輪 格闘技各競技について考察。格闘技の本質から見た、ルール改正の影響など、成果と課題。

 東京五輪も残すところボクシング何階級の決勝と、水球の決勝のみになったところ。


 格闘技系を全体としても見ての、競技とルールの現在について、考察してみる。五輪競技としての格闘技・総括。


 打撃系格闘技はボクシング、テコンドー、空手。組技系としてはレスリング二種類、フリースタイルとグレコローマン、そして柔道である。


 格闘技は、基本的には戦闘や自己防衛に起源を発し、「どちらが強いか」ということを競うものである。それを、命のやり取りにしない、負傷させない、安全な競技化するために、各競技とも試行錯誤しながら、ルールを整備してきた。ルール整備には、「見るスポーツ」としての分かりやすさ、勝ち負け優劣がわかりやすいこと、競技本質に基づく、より魅力的な技術が発揮されやすいことなどが考慮されてきた経緯がある。  


 こうした視点でみると、今大会、印象に残った、良い方向に進化していると感じられたのは、ボクシングと柔道である。


 一方、課題が多く感じられたのは、空手とテコンドーである。


 レスリングについても、「そういうもの」として完成されているように見える、観戦する方も慣れてきてしまったが、競技本来の姿からすると、本当にこれでいいのか、という疑問は残る。


 ボクシングは、本質的に「相手を殴り倒した方が勝ち」という格闘技である。アマチュアボクシングは、そうしたある種の野蛮性から遠ざかるために、「軽くてもいいからきれいに当てた数を競う、それを数字で示す」という方向に、つい最近まで進化していた。しかし、それは、全然、ダメージを与えないような打撃を数だけ当てた方が勝つという、見ていて納得できない感がつきまとう、不思議なスポーツに、一時期なってしまっていた。それが、今大会では、体重の乗った強いパンチのみを評価する、ヘッドギアも男子は廃止する、パンチの質を評価しつつ10ポイント制で審判が判定する、プロボクシングに近い評価方法になったため、格闘技本質から見て納得できる内容、「戦って強いほうがちゃんと勝つ」「見ていても本気で倒そうと戦いあう、魅力を取り戻す」という内容になった。


 柔道も、かつての旗判定、反則ポイントで勝つ、あいまいで納得できない判定を減らす方向での、リオ以降のルール改正の成果が花開いた大会となった。初日の高藤の決勝戦が反則累積の決着となったことから、おそらく審判会議で、できるだけそうならないよう、技での決着となるよう、大会期間中にも方針が徹底されたのではないかと思う。また、レスリング的技を禁止する(足取りやベアハッグの禁止)により、柔道本来の美しい技が立ち技で出やすくなり、日本選手だけでなく、世界の選手が、見事な柔道本来の技を繰り出す内容になった。また、寝技を見る時間を長くするなどのルールと運用の改善で、浜田尚里ら、新井×タイマゾワ戦など、寝技の凄み、格闘技としての柔道の真の恐ろしさを世界の人に印象づける大会となった。勝敗判定の疑問の余地の少ない、美しい技の多い、完成度の高い競技となっている。


 これに対し、初めて五輪に採用された空手は、課題が多かったと思う。空手競技当日の感想にも詳しく書いたが、最終日、最重量75級キロ超級男子の決勝戦で、その「未完成な問題点」が鮮明に出た。


 空手ルールは「寸止め」である。相手にダメージを与えるように攻撃してはいけない。当たる寸前、もしくは軽く当たったところで素早く引かないといけない。これは審判の目で判定される。これが何が格闘技本質的に矛盾しているかというと、一番は、強い攻撃を食らって、本当ならダウンしたり戦闘不能になるはずの選手が、倒れもせずに反撃できてしまう点にある。そして、その、本来はあり得なかったはずの反撃の方がポイントをもらえてしまう場合がある、という理不尽が生じる。フェンシングなら、本当に機械が同時と判定した場合しか両者ポイントにならない。剣で刺されて死んだら、そのあと反撃できるはずがないからである。本気で打撃を当てあうボクシングであれば、その点はダメージを食えば、その後の打撃は腰砕けになるから、間違いは起きない。空手の寸止めルールというのは、その点、あいまい、間違いが起きやすいのである。


 決勝でおきたのは、それよりひどい。サウジアラビアのハメディ選手とイランのガンジサデー選手。ハメディが優勢に試合を進め4-0。このままでも勝てるが、好調なので、さらに上段回し蹴りを放つ。それが頭から突っ込んできたガンジサデーの頭部を直撃。いかに寸止めしようとしても、それを上回る速度で相手が突っ込んできたら、当たるのである。技量の問題ではない。


 ガンジサデー選手は脳震盪を起こしたらしく、まったく立ち上がれず、担架で運ばれ、。ハメディ選手は反則負け。


 キックボクシングなら、フルコンタクト空手なら、見事なKO勝ち、一本勝ちである。それが、避けようのないカウンターで当たったことで反則負け。これは、競技者も、見る人も納得できない決着である。


 それ以外にも、足の長い選手が多様する裏回し蹴り。サソリのように脚を上げて、後ろに回して膝を曲げながら、相手の後頭部をける。普通の蹴りとは反対に、後ろに膝をまげる力でける。フェンシングの、剣のしなりで相手の背中を突っつく技に近い。明らかに普通の回し蹴りより威力が弱い。「頭部に足がこつんと当たる」感じであり、フルコンタクトやキックボクシングで、あの技ではKOはできない。ポイント取る用の技である。


 当たれば相手を殺すであろう、強烈な上段突きが1ポイントで、相手の頭を撫でるだけのような裏回し蹴りが3ポイントというのは、武道、格闘技の本質としての「本当に相手より強いかどうか」からかけ離れた技術、それに過大な点数を与えるルールとなっている。


 伝統空手は独自の進化を遂げて、世界で柔道の20倍くらいの競技人口を抱える人気スポーツとなっている。最終日のメダリストが、イラン、サウジ、トルコ、日本、女子の最重量級金メダリストがエジプトということからわかる通り(途中、エジプトとイランのスポーツ用ヒジャブをした女子選手の対決もあった)、イスラム教圏である中東、北アフリカ、中央アジアあたりでも大人気である。いったんは五輪種目から外れるが、将来、また五輪競技に復帰する可能性は大きいと思う。それまでに、ここで書いたような、「格闘技本質と乖離した判定基準」「強いものが不運に負けてしまう理不尽」などを解決する方向でルールなどが改善していくことを期待したい。生きているうちに、また五輪種目としての空手を見てみたい。


 レスリングというのは、本来は「相手の肩をマットに一秒つける」フォールを最終目標とする競技である。しかし、この五輪でも、フォール勝ちは、ごく少数しか起きていない1割以下だと思う。柔道が一本勝ちを目指す競技なのに、一本で決まるのが1割以下だったら、それはルールがおかしい、となるだろう。


 相手のバックを取る。相手を立ったまま押し出す。相手を後ろからコントロールして回転する。いずれも、「相手に攻撃されない状態になって、相手をコントロールしている」という意味で、格闘本質的に、たしかに優位な状態になっている。しかし、その先、相手の息の根を止められるのか。相手の肩をマットにつけるほどコントロールしているのとは、明らかに状態が異なる。


 レスリングというのは、タックルしてバックを取ってポイントを取る。という競技だと、もう慣れてしまってみているが、もうすこし「豪快な投げ」「フォールに至る過程」というものが高頻度に生じなくていいのだろうか。なんとなくもやもやは残る。


 上位入賞者を見ると、男子でいえばトルコ・イラン・アルメニア。アゼルバイジャン、それにキューバ、日本、モンゴルという狭い地域の選手比率が高かったりする。類似格闘技伝統のある地域に偏っていると思う。歴史が古いわりに、アメリカでは学校スポーツとして大きな競技人口がいるわりに重量級以外、アメリカ人が少なかったりと、普及拡大にも問題が起きているのではないのかなあ。豪快な投げ技やきっちりフォール勝ちが生じやすいようなルール改正、競技改革という機運はないのだろうか。あんまり聞いたことがないのであるが。


 テコンドーについては、フェンシング同様、防具にセンサーを入れて、ある加速度が加わっての打撃のみをポイントとする、としたのと、蹴りポイントが大きく部位と蹴り方により5から2点、突きは1点。このため、センサーが感知しやすくポイントの大きい頭部への回転蹴りを多発し、防御も半分は「脚で脚を防御する」ものになった。片足半身でケンケンしながら、ほぼ脚、蹴りだけで戦う不思議な競技に進化していた。もともとは蹴りも突きもある、総合的な打撃格闘技のはずが、五輪競技としては、かなり不思議なものになった。かつては極真空手のかかと落としのような技もあったと思うが、センサーと採点基準のせいか、あの技術も廃れてしまつたように見える。空手の「寸止め」「審判の目視判定」の持つわかりにくさと、頭部打撃の持つ危険性回避を、防具センサー化、フェンシング化により乗り越えようという独自進化をしているのだが。しかし、見る競技としては、使われる技術の幅が狭くなって、つまらなくなったように見える。


 テコンドーは母国韓国はメダルなし。空手も母国日本、組手はメダル一個だけ。どちらも世界で数千万の競技人口を誇る人気スポーツ化して母国優位がなくなっているのは、良いことだと思う。脚も使う、蹴りのある打撃系格闘技というのは、世界中で大人気、両方合わせると、億を軽く超える競技人口がいることになる。(世界人口が60億のことを考えると、驚異的な数である。)。せっかく世界中で愛されている空手とテコンドーが、五輪競技としても納得できる進化を切磋琢磨しながらしていくといいなあ。

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