サッカー・アジアカップ、日本敗退後、ラグビー南アの強さに学ぶべきことがあるとずっと考えてきたことを、長くなるが、書く。
僕は、サッカーもラグビーも見る。テレビ観戦が中心だが、それぞれ年間300試合は見ると思う。高校生の試合から世界のクラブチームの戦いから、もちろん代表の国際大会まで、ものすごい数を見る。
そういう人間はわりと少ない。防衛研究所の高橋杉雄氏なんかはそういう人である。サッカーだけでなく、ルールも文化も違うラグビーも大量に見ることで、考えの幅が広がるということはある。
そんな中で、ここのところ、サッカー日本代表がアジアカップで敗退してから、考えていることがある。
サッカー日本代表・森保監督は、ラグビー南アフリカ代表、ワールドカップ二連覇した(実は監督は交代している)、南アチームの選手起用戦術に学ぶことがあるのではないか。交代枠をフルに使うこと、すべての選手に同じように重要な役割があるということ。それを他チームとの最大の差、優位点にしていること。
ラグビーワールドカップ、二大会連続優勝した南アフリカは、選手交代戦術が他国と異なる斬新なものである。先発=優れている、交代選手=それより一段落ちる、という考え方を全く取っていない。
具体的に言うと、交代選手8人であるが、消耗が激しく、また自国の強みであるフォワードを8人中、7人、後半の早い段階で交代する戦術。つまり控えの内7人はフォワード。バックスの控えは一人しか置かない。
ちなみに通常(対戦相手のニュージーランドもそうだった)交代枠の配分は、フォワード5人、ハーフ一人、バックス2人というのが標準である。
「交代した後半の方がさらにフォワードが強くなる」という、相手チームにとっての異常事態を生じさせることで勝つ、というのが、前大会、今大会連覇した南アフリカの最も特徴的戦術である。
サッカーは控え選手12人。交代可能なのは、90分まで5人。延長戦でプラス1人。控え選手のうち、6人は出場できないという点で、交代枠全員を使えるラグビーとサッカーは異なる。しかし2022までの交代枠3人時代からは、最大6人交代可能となり、戦術選択肢が大きく広がった。
その可能性を最もうまく使ったのが、ワールドカップでの森保監督の日本代表、グループリーグドイツ戦とスペイン戦だ、という分析を、当時、僕は書いている。
両ウイングを、前半、伊東純也、久保から、後半、堂安、三苫に交代することで、これが前後半ともに極めて優秀なだけでなく、攻撃方向が極端に変わるため、マークして守備する相手ディフェンダーに混乱が生じ、その混乱が生じた短い時間で一気に得点を取る、ということが実現したのである。
前半は右利き伊東が右サイド、左利き久保が左サイド、つまり縦に突破してセンタリングというのが基本になる両翼。
後半、堂安、左利きが右サイド、三苫、右利きが左サイド。ということは、ペナルティエリア外側から、ゴールラインと平行に中にドリブルしてのシュート、という選択肢が出てくる。縦突破センタリングの前半に対し、並行横ドリブルからのシュート(メッシを右サイドで使うときの動き)への変化。これが片翼でなく、両翼同時に起き、後半開始とともに猛攻をするということが実現したのである。
森保監督の「前後半、両ウイングとっかえ、相手が対応するのに時間がかかり混乱しているスキに点を取る作戦」、実は森保監督も明確に自覚していなかったのだろうと思う。のは、決勝トーナメント、クロアチア戦では堂安を先発に使ってしまったので、後半での「両翼フルチェンジ」の破壊力が出なかったのである。
なぜこんなことになってしまったか、と考えると、まだ森保監督に「先発のほうがより優れている、または調子が良い選手=評価が高い方を先発で使う。もしそれが機能しなかったときに次善の選手と交代」という考え方に縛られているのしゃないか。
選手交代について監督がこう考えているとすると。
①先発に選ばれなかったということは、あいつより俺の方が評価が下だということだな。
②途中交代させられたということは、今日の俺は機能しなかった、調子が悪いと監督に判断されたということだな。
と選手が受け取ってしまうということである。事実、久保選手なんかは、常にそういうとらえ方で、先発に選ばれなかったときも不満そうだし、先発しても途中交代させられたことの不満を常に口にする。堂安にもそういうところがはっきりある。久保と堂安という中心選手二人に、そういう考えがあり、その不満を態度や表情や発言にはっきり出してしまう。それがチームに、なんとなくいやな感じの空気を作り出してしまう。
森保監督のいちばんよくない点は、こういう空気を放置し、大会が進むほどにそのいやな空気が濃くなってしまう点にあると思う。
こういうことが起きてしまうのは、選手交代についての「古い考え」のせいだと思うのである。交代枠三人時代の、古い考えだ、ということを、監督は選手にはっきり伝えるべきだと思うのである。
ここでラグビー、南アに学ばなければいけないポイントが出てくる。
①サッカーと言うのは、90分が終わった時に、1点でも多く点を取っていた方が勝つというゲームである。
②ずっと優位にゲームを支配する必要はない。チーム力が上のチームが80分間ゲームを支配して、しかしその間に1点しか取れず、チーム力が下のチームが10分間だけゲームの流れを掴み、その短い時間に2点取ったら、力が下でも2点取ったほうの勝ちである。ワ-ルドカップでの日本は、ドイツ、スペインにこうして勝ったし、アジア大会でイラク、イランにこうして負けたのである。(イラン戦はもっとひどい負け方だったが。)
③五人交代可能になったルールでは、前後半で一気に2人、3人まとめて交代枠を使い、全く違う戦術、特徴のチームにモデルチェンジすることで、相手が対応できずワチャワチャしてしまう時間を意図的に作り出し、そこで一気に複数得点を挙げる、という戦術が取りうる。
④そうだとすると、まとめて交代投入される「ゲームチェンジャー」選手は、先発選手よりもむしろ能力が高く、重要な選手であるということである。
⑤一方で、先発選手は、上記後半ゲームチェンジ作戦を効果的にするために、前半、まずは先発フォーメーションと戦術で十分な脅威を与え、それへの対応に相手が頭を絞るように奮闘しなければならない。また、もしその間に得点でき、リードを奪えるならば、一方的な試合にすることが可能である。(親善試合のドイツ戦など連勝中の日本代表の試合は、そうできた。)
こう考えると、先発選手と、後半投入選手の間に、能力的優劣や、監督からの評価の優劣があるわけではなく、それぞれが試合の中で与えられた重要な役割があり、どちらも同じように重要で、同じように高く評価している、ということになる。
守備においても同様である。対戦相手も上記のような「前後半ゲームチェンジャー作戦」を取るならば、守備選手と陣形も、それに対応して大胆にチェンジするということがありうる。これまたワールドカップスペイン戦の後半での冨安の投入なんかはそういうことだと思う。3バックと4バックの変化とか、ボランチの性格の違う選手の投入とか。
たしかに、ラグビーと違って、交代枠が12人控え中、延長までいっても6人だから、控え選手の半分6人は出られない。でも誰が出られて、誰が出られないのかは、試合の展開的によるのである。すべての選手に、試合が始まる前の可能性としては、「試合展開がこうなったときのゲームチェンジャーはお前、そういう役割として最高の評価をしている」と伝えておくことはできる。
逃げ切るときの守備強化、おそらくその時はこういうフォーメーションで、この選手を押さえる役割で出る可能性が高いと守備控え選手には役割を伝えておく。
攻撃控えには、「リードしていてもしていなくても、後半の戦術チェンジタイミングでお前とお前はこういう形で出して、チーム戦術を変化させる役割」とか、「後半残り何分でリードされているときは、おそらくこういうことが起きているから、お前が出る時はこういう役割。それを果たすために誰とこういう連携を重視して動く役割が想定される。ここでは負けていてどうしても点を取らなければ負けだから、こういう形で積極的にシュートを撃て。セットプレーではこの形でお前がこれをやることになるはず。それも頭に入れておいて」とか、かなり具体的な役割がそれぞれに与えられている筈である。
控え12人、試合展開によっては出番はないかもしれない。しかし、出るとするとこういう役割になる。こういう展開ならお前が切り札になる。あるいは、投入されたときにこうした戦術変化や狙いをピッチ内の周囲選手に伝え徹底させることも、途中投入の役割は大きいので、そういた意識付けも事前から常に監督は選手に対して行わなければならない。
もちろん相手があり、不測の事態が起き、こういう想定から外れた展開にサッカーの試合はなることがほとんどだ。しかし、自分の評価と、投入される時、引っ込められるとき、その意味することがどういうことなのかを、選手それぞれが明確に理解できていることが、チームを、「大会が進むほど強くしていく」ためには必要なのである。全員誰一人も「蚊帳の外」に置かれず、勝利のために自分の役割がどこにあるかを理解している。
南アのラグビー代表は、完全に、全員が必要な戦力だったし、選手がそのことを完全に理解して戦っていた。あれは稀有な成功例だけれど、あらゆるチームが、ラグビーでもサッカーでも、あれを目指していくべきだ。
ラグビー日本代表でも、エディージャパンにはそういう「全員が自分の役割、選ばれたことの意味を理解している」ということがあったし、ジェイミージャパンでも日本大会の時にはそういうところがあった。しかし、この前のフランス大会のジェイミージャパンには、選んだのにほとんど使わずに終わった何のために選ばれたのかよくわからないという選手がたくさんいた。グループリーグ敗退はその視点から必然だったと思う。
付録 主力選手の発言
アジアカップ敗退後、守田が、冨安が、最もよく働いた両選手が、チームに欠けていたことについて鋭い指摘をしている。
守田の発言
冨安の発言
これに対して久保と堂安の発言を引用する。
久保は途中交代が不満だったのだろうか、こんな発言である。
堂安は最後まで出続けての責任を感じている発言である。
久保の、「交代させられちゃったから、それ以降はできることは無い」のは、個人としては事実そうなのだと思うが、サッカーというチームってそういうものなのだろうか。僕はそうではないと思う。久保のこれまでの経歴から、バルサのカンテラにいたときから、レアルに移っても、マジョルカやビジャレアルでも実力があるのに使ってもらえないというフラストレーションがサッカーキャリアのほとんどを占めてきたことから、久保の心の構えは、そうなってしまっていると思う。先発を外されては不満、先発で使われても途中交代させられては不満。、今、ソシエダでやっとその不満が解消したように見えるが、代表では昔からの「心の悪い癖」が出てしまうなあと思う。
僕は、監督にできることは、「試合に出ている時間だけでなく、交代選手としてベンチで見ている時間も、あるいは先発から交代で引っ込んでベンチに座っている時間も、あくまでチームの一員であり、そこでの振る舞い、役割はある」ということを主力選手に納得してもらうことにもある、と思うのである。
話は元の話にループしてしまうが、このあたりの選手の気持ちマネージメントは、精神論ではなく、「この状況でのこういう使い方のことを考えてベンチに置いている。あるいは先発で使ったが、ここで下げた。すべてはチームが勝つための、理由があってのことである。日本代表は世界のどのチームよりも突き詰めた選手起用戦術で戦おうとしているのだ。代表全員にそのことを理解してほしい」ということを言語化して伝える、というのが監督に求められること、能力と役割だと、僕は思う。トルシエなんかは、そういう監督だったと思う。
どの時間帯で、どういう得点状況で、その時点でのチームの課題がこうで、周囲の選手がこの選手とこの選手だということは、自分が今やることはこういうことだ。
それを試合のその時に監督が交代選手にいきなり全部伝えるのは難しいだろう。(いや、ほんとはそれをやるべきなのだが。)
こういうことは、大会に向けて選手を招集した段階で、「今回は誰を呼んだ、誰は呼ばなかった、呼べなかった。ということはこういう仕組みと狙いでやるということだ。試合ごとの力関係や相手の特性で、こういう組み合わせとこういう組み合わせ、試合中の状況変化でこういう仕組みでやることになる」ということは徹底し、不満を持ちそうな久保のような選手とはそこを深く話し込んでおくべきだろう。
長くなったが、日本のアジアカップ敗退後、そんなことを考えていた。
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