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下位互換

ちょいとだけ以前の話をするね。

数年前、僕はまあフツーに働いていたんだけども、当時の僕は
「自分は〇〇さんの下位互換」
だと思いながら働いていたんだ。

代わりはいくらでも効くし、なんならそれ以上の仕事をするだろう。
そんな僕は、120%の力を出さないと、会社の役には立たないと思っていた。
120%ってのは、色んな面で遣った。
オフの時間を急遽出勤(サービス残業)したり、自腹切って補完したり、まあ色々、自分を消費したよ。

で、結果うつ病になって今では双極性障害の診断と精神障害者手帳を持つようになった。

誰が悪いでもないと思ってる。会社はパワハラで無理やり命令したわけでもないし、自分が自己犠牲で自分が選んだ道。

人は「誰かの役に立たないといけない」って思ってる人、僕以外にもまあまあ居ると思うんだよね。
資本主義のせいなのか、働いて金稼いで納税して、人のお役に立てる仕事をすることが“美徳”であり“人として”義務感を感じている、そんな人は多いと思う。

仕事が出来る出来ないってのは、たまたまの話なんだよね。
身長が高い人と低い人がいる。
運動神経が良い人と悪い人がいる。
メンタルが人より繊細な人がいる、といった具合で。

で、結論は「仕事の出来高や有無は人の価値と全く関係ない」んだよね。

身長が低い人に価値は無いですか?
運動神経が悪い人に価値は無いですか?

そんなことはないよね。仕事も同じ。
たまたま上手く出来ないだけであって、短所しかない人なんていないのよ。
仕事は出来ないけど、人間関係はトラブル無いしなー。とか。
今は向いてなくて出来ないだけで、他の仕事をしたら向いているかもしれないだけだし。

だから、人に下位互換なんてないのよね。
他人に役に立つのが良い事だ、ってのは、教育と社会がそう植え込んだだけであって、誰もがそこにいて、生きてるってのは変わりない。

「社会の役に立つのが立派」という妄想をまず疑うべきじゃないかな。

「そこにあなたがいるから価値がある」
とかそんな綺麗事は言わないけど、そもそもこの“価値”ってのが問題なんだよ。

価値ってのは、本人が決める事であって、他人が他人に値をつけるもんじゃあないだろう。

だから仕事もおんなじ。
本人が働いていてそこに価値があると思ったなら、その仕事には価値がある。
その人にとって、ね。

人の役に立たないといけない。
んなことはない。

役に立つ立たないというのは、道具の話。
人は道具ではないだろう。

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