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テレビっ子の僕がテレビを手放した話

僕とテレビ

物心ついたときから家にはテレビがあって、子供の頃からよくテレビを観ていた。アニメや戦隊モノから始まり、バラエティ、音楽番組、ドラマ、スポーツ・・・リアルタイムで観れないときはGコードで録画予約して観ていたが、野球中継の後だと延長戦によって録画できていないことが度々あったのが懐かしい。小学生の頃、僕にとって新聞とはテレビ番組表であり、Gコードを調べるためのものだった。

大学生の途中で一人暮らしを始めたとき、家電や家具が足りない状態だった。ごはんを食べるテーブルもなく、ダンボールをテーブル代わりにしていた。だが、テレビは初日からあった。bydesign(バイデザイン)の安いテレビだったのを覚えてる。そのくらい、僕にとってテレビはマストアイテムだった。

大型テレビがどんどん安くなり、それに合わせて家のテレビサイズもどんどん大きくした。最後に使っていたのは、47インチのPanasonic VIERA。離婚して再び一人暮らしをするタイミングで購入した。一人には必要以上のサイズだった気もする。

社会人になって15年が経ち、インターネットの普及と共に、テレビを持たない人が周りで増えてきた。僕はテレビドラマが大好きなのだが、テレビを持っている人でもドラマを観ている人が徐々にいなくなり、ドラマの話題で盛り上がれる機会も減った。毎クール、脚本家を調べて、観るドラマを決めていた。時代を切り取り、時代のニーズに合わせ、時代を作っていくことができる脚本家は尊敬する。

テレビを捨てたきっかけ

昨年よりミニマリストを目指していて、大量の物を手放した。このときはまだ、テレビは当然必要だと思っていたし、手放すことは考えられなかった。ミニマリストのブログやYoutubeを見る限り、テレビは持っているほうが少数派のようだが、自分にとって必要最小限のもので生活するというのがミニマリストであり、僕にとってテレビはそのうちのひとつだと思っていた。

家具/家電の断捨離や、あえて小さいサイズへの買い替えも行い、リビングに残ったのは、仕事用のデスク、テレビ、ローテーブル、ソファ、ベッド。もうこれ以上は減らせないと思っていたが、テレビを持たないパートナーと出会い、テレビ無しの生活もありなのかと急に思い始めた。

テレビを観ようと思えばTVerでもParaviでもFODでも観れるし、テレビへの愛着ではなく執着ではないかと思い始めた。引越しを機に、さらなるミニマルな生活を目指して、テレビを手放すことにした。

テレビを捨ててみて

まず最初に良いと思ったのが、部屋のレイアウトの自由度が増したこと。これまで引越し先を探すときに、まず最初に意識するのがテレビの位置だった。テレビ線の場所に合わせてテレビを置いて、そこからソファの位置を決める。テレビが無い今、家具は自由に配置できて、部屋の形も今までは長方形が良いと思っていたが、いびつな形の部屋でも住める気がする。

次に、読書の時間が増えたこと。テレビを観ていた時間や、毎クール観るドラマを決めるのに調べ物をする時間等、多くの時間が空いた。手元にKindle Paper Whiteを置いておくことによって、ほぼゼロだった読書時間が急激に増えた。テレビから得られる情報も大切だが、本には情報が凝縮されているので、単位時間あたりに得られる情報量が多くて好き。

観たいドラマが多いクールには、今クールのうちに全部観なきゃと録画一覧に表示されるドラマ達に追われている気持ちもあったが、そこから開放された。NHKなんて全く観ないのにずっと払い続けて来たモヤモヤからも開放された。ちなみに、NHK代は年額払いにしていたが、解約タイミングで月割りにして、残りを返金してくれた。意外と優しい。

テレビがなくて困っていることは今のところ無い。30年以上テレビがあるのが当たり前の生活だったのに、すぐにテレビ無しの生活に慣れた。テレビを観るのは惰性だとは思っていなかったが、僕にとってはなくても困らないものだったんだなぁ。

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