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ガマさん

数年前のある夏の話。

私の家の玄関の前には小さな花壇があった。
その花壇の植木に水やりをしていた時だ。その植木の根元の影に体長15cmくらいのガマガエルがじっとうずくまっているのを発見した。思わず声をあげそうになった。自分の家の敷地内にそんな大きな生物が侵入しているとは。それに見るからになんとも不気味な外見だ。

枝か何かで突いてそこから追い出そうかとも思ったが、もしこっちに向かってきたらちょっと怖い。どうしていいかわからず、とりあえず植栽の陰であまり目立たないし、直接的な害もないので放っておくことにした。そのうち勝手にいなくなるだろう。

それから、朝玄関から出かける時と家に帰ってきた時、そこにガマガエルがいるかどうかを確認するのが日課になってしまった。3日経っても、5日経っても、ガマガエルは同じ場所から一歩も動くことなくじっとしていた。

その年の夏は異常気象で雨がほとんど降っていなかった。なるほど、ガマガエルはこの乾き切った夏の暑さの中、移動して自分の住処の池や川に帰ることができず、ここで足止めを食っていたのか。

最初あれほど不気味に思っていたガマガエルだが、毎日見ていると不思議と情がわくものだ。この暑さと乾きが不憫に思え、ガマガエルを驚かせないよう、ゆっくり植木に水を垂らすようにしてガマガエルの体を濡らしてみた。ガマガエルは驚くでも喜ぶでもなく何の反応もないまま、体の上を水がゆっくり流れるまま、じっとしていた。

この頃から私は「ガマさん」と呼ぶようになった。乾燥対策の次は食料だ。何日も同じ場所にいてエネルギーは使ってないにしろ、腹を空かせているに違いない。ガマさんは一体何を食べるのだろうか。家に帰る途中、よく道路に蝉の死骸が落ちていたのでそれを拾って持ち帰り、試しにガマさんのすぐ目の前にぽんと放り投げてみた。ピクリともしない。そうか蝉は食べないのか、と思ったその次の瞬間、ボクサーがパンチを繰り出すような信じられないスピードで「バクっ!」と蝉をひと飲みしてしまった。一瞬の出来事だった。

その日からガマさんが蝉を食べる瞬間が見たくて、食事用の蝉を拾って帰るのがルーティンになった。弱っていてもう飛ぶ力のない生きた蝉をガマさんの目の前に落とした時など、逃がしてなるものかと、いつにも増して素早く口の中にいれ、その新鮮な味を楽しむようにゆっくりと咀嚼しているようだった。

ガマさんを見つけてから10日ほどすぎた夜、久しぶりに小雨が降った。ついにガマさんとの別れの日がきたか。ガマさんが餌を食べる姿、かっこよかったな~。が、もうそれも見ることもない。エサ(蝉の死骸)ももう集めなくていいな。ほんの少し寂しさを感じながら朝を迎えた。

ガマさんはまだいた。
一歩も動いてないようだ。

おいおい、出ていかなかったのかよ。なんの努力もせずに蝉をふんだんに食べられるこの生活がすっかり気に入ってしまったのか。よくよく道路の表面を見ると、昨日降った雨が少なかったためか、少し湿っている程度で一部はもう乾き始めている。そうか、この程度の雨では外に出て水場へ向かうのは危険だとガマさんは判断したのだろう。顔に似合わず意外に慎重なやつだ。

その後も、暑くて乾燥した日には、ガマさんにそっと水をかけてやり、腹を空かせてると思えば、蝉の死骸を拾ってきてガマさんに食べさせる日々がしばらく続いた。
そして、ついにその日がきた。

その夜は今まで降らないで空に溜まった雨水が一気に決壊したかのように激しい雨が降り続いた。道路に叩きつける雨音が一晩中聞こえていた。さすがにこの雨ならガマさんも移動するだろう。

予想通り、その翌朝、ガマさんの姿はもうなかった。

あんなに世話をしたのに挨拶もせず出ていきやがって、と思ったが相手はガマガエルだから仕方ない。ガマさん、やっと水場に戻れたなと、肩の荷が降りたようなホッとした気持ちにもなった。ガマさんとの日々は夏の良い思い出になった。

ところが話はまだ終わらない。

その年の冬のこと、私は家の周りの枯れ草を引き抜いたりと大掃除をしていた。そして大掃除でもなければ滅多に行くことがない、家の裏側に行った時だ。家の敷地内の玉砂利の上に思わぬものを見つけた。
体力がなかったのだろうか、それとも方向感覚が狂ってしまったのだろうか、家のすぐ裏にいたとは。それはカラカラに干からびたガマさんの死骸だった。
こんなことになるならガマさん、あの場所から一歩も動かなければよかったのに。
本当に何してんだか。。

私はその死骸を、
その夏、ガマさんがずっと潜んでいた花壇の土の中に埋めた。


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