1993年 ネパールの旅「ヒマラヤのポテトパンケーキ」

エベレストの麓までトレッキングした時の話。

片道10日間ほどの日程でエベレストへ向かって歩いていた。しかし、途中のナムチェバザールで高山病にかかってしまい、やむをえず少し標高の低い川沿いの村、プンキで静養することにした。

宿泊したロッジは40過ぎの夫婦が営んでいて、客商売なのにまったく愛想が悪く、いつも不機嫌そうな顔をしている。食事の用意もしてくれるが、「さっさと食べてくんないかな~、早いとこ仕事終わらせたいんだよね」というオーラを思いっきり醸しだしていた。初日は高山病からくるひどい頭痛で食欲がわかず、ほとんど手つけずで残してしまった。おばさんに食事を残したことを詫びたのだが、なんの反応もなく、サッサと片付けを始めた。

翌日、回復の兆しをみせ、ようやく食事が喉を通るようになった。 夕食はトーキクルというネパールのポテトパンケーキ。前日何も食べていなかったからか、とてつもなくおいしく感じられ、ペロリと食べてしまった。「ごちそうさま。とてもおいしかった」と伝えるのだが、おばさんはまたもや何の反応もなく、サッサと片付け始めた。

そして3日目。頭痛もなくなり、歩いても大丈夫なまでに回復した。明日はまたエベレストに向かって歩くことになり、このプンキに宿泊するのは今日で最後だ。それで、昨日食べたポテトパンケーキの味が忘れられず、食べ納めしておこうと、私は宿のおばさんに、「今日の夕食はまたポテトパンケーキを食べたい」とリクエストした。

そして夕食の時間。ダイニングのテーブルを見て、慄然とした。テーブルの上には昨日の5倍以上の量のポテトパンケーキがのっていたのだ。宿泊者は私たち夫婦二人だけだ。とても食べきれる量ではない。そしてあの無愛想なおばさんが「さあ、好きなだけお食べ」という感じで、今まで見せたことがないやさしそうな微笑みを浮かべ、こちらをじっと見ている。もう、食べるしかない。覚悟を決め食べ始めた。メニューはポテトパンケーキだけ。ひたすら腹にたまる。この状況で残すことはできないと必死になって食べまくった。

必死で食べる私たちを見て、「あまりのおいしさに夢中で食べてる」と勘違いしたのか、おばさんは「おいしいかい?」「おいしいかい?」と何度もうれしそうに話しかけてきた。がんばって食べたが、残り4分の1くらいがどうしても入らない。限界だ。その時、素直に「もうお腹いっぱいです。ごちそうさま」と言っておけば良かったのだ。でも言えなかった。なぜ、あの時あんなことをしてしまったのか、自分でもよくわからない。おばさんが別の用件で出ていき、部屋に私たち二人だけになった瞬間だ。私は、皿の上に残ったポテトパンケーキを鷲づかみにし、宿を飛び出した。そして、森に向かって放り投げた。

翌朝、宿を後にした。私が投げ捨てたポテトパンケーキの残骸がどこかにないか気にしながら。。。宿のおばさんはいつかその残骸を見つけることだろう。おばさんはなんて思うだろうか。そして、トレッキングの帰り、再びこの宿の前を通ることになった。もちろん泊まりはしない。私たちは隠れるように足早に宿の前を通りすぎた。

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