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時間の価値の将来について思うところ

そもそも価値とは何だろう。

価値(かち)とは、あるものを他のものよりも上位に位置づける理由となる性質、人間の肉体的、精神的欲求を満たす性質、あるいは真・善・美・愛あるいは仁など人間社会の存続にとってプラスの普遍性をもつと考えられる概念の総称。殆どの場合、物事の持つ、目的の実現に役に立つ性質、もしくは重要な性質や程度を指す。何に価値があり、何には価値がない、とするひとりひとりのうちにある判断の体系を価値観と言う。(Wikipediaより

何やらたくさん書いてありますが、私の理解としてはシンプルに下記です。
・価値には判断基準がある。それは価値観と言う
人間社会にとってプラスとなるもの

まず、この前提で時間に価値があるかないかを考えてみました。人間にとって、「時間に価値がない」などという人はいるのでしょうか?いなそうです。なぜなら、時間は人にとって有限だからだと思います。人は、時間の価値をMAXにしようと行動するのではないでしょうか。

では、時間の価値観はどうでしょうか?それは、定義によると、人間にとってプラスな度合いで決まることになります。人は何をもって価値があるとするのか、ですね。

この時、だれが価値の度合いを判断するのか?を考えると、時間は分け与えることができないので、時間を過ごしている本人の自己判断で決めるしかなさそうです。ただ、過ぎ去った時間であれば、記録という方法を使って他者が評価をすることができそうです。、でしょうか。そう考えると、時間の価値観を形成するのは過去~現在になりますね。

人間社会にとってプラスとなるよう時間の価値を高めるためには、有限な人間の時間を、自身の価値観を通して、未来含めてトータルMAXになるようにする価値創造が、現在に求められそうです。

「未来含めて」というのが厄介そうです。未来なんて分からないじゃないですか。しかも、未来に進むにしたがって、過去の記録が増えていって、時間の価値観が変わる可能性だってあります。

時間の価値を高めるために、何をすべきか。

時間の価値観を形成するのは過去~現在です。時間の価値を創造するのは現在です。価値観の形成にも、価値の創造にも現在が入っています!未来を見据え、過去を学び、自分なりの価値観を常に形成し続けつつ、価値の創造に向けて現在行動することがベストです!

さて、突然ですが、将来コンピュータと共存する社会を見据えた時間の価値を考えてみます。手始めに、上述の文章における「人間」を「コンピュータ」に置き換えて考えてみました。

【価値の定義】
・価値には判断基準がある。それは価値観と言う
コンピュータ社会にとってプラスとなるもの

何やらシンギュラリティの末期のような怪しいものになりました。コンピュータが発展すると、「価値」を再定義しないといけないかもしれません。

【時間は人にとって有限だから】
コンピュータにとっての時間とは、データ処理するために要するもの。コンピュータの寿命における処理した量が多いほど(処理速度が速いほど)実質データ処理は進んでいく。とすると、発展と共に処理速度が上がれば要求される時間は無限に短く、さらに寿命も長くなれば、、、つまりデータ処理を他のコンピュータに引継げば、、、時間はほぼ無限?

【時間は分け与えることができない】
コンピュータの時間の定義が上記とすると、並列処理で分け与えられそうですね。

【時間の価値観】
コンピュータにとっての時間の価値とは、データ処理するために要するもの。ただ、時間がほぼ無限にあって、分け与えることもできて、、、となると、コンピュータにとって時間の価値ってあまりないのでは?価値がないから価値観もないかもしれません。

このように考えると、人間とコンピュータとの時間に対する価値は大きくことなることから、もしコンピュータと人間が融合していくとすると、人間の時間の価値観を大きく変えていくと予想されます。現に、例えばWindonws95の以前と以後で、時間の価値が大きく変わっているのではないでしょうか。このまま融合が進んでいくと、将来、人間にとっての時間の概念がもっと大きく変わるかもしれません。例えば、人間の思考速度よりも圧倒的にコンピュータの処理速度が速くなった時ーーー。仮想現実に接続した人間の体感時間を調整することができ、不死と言っていいほどの無限の経験ができる時代が来るかもしれません。精神と時の部屋です。SAOです。コンピュータの発展に伴い、人間の時間への価値観にどのような影響があるのか、それに伴う人間にとっての他の価値観への影響はどうなるのか、興味深いですね。

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