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みんなの学生時代の音楽失敗談 #1

こんにちは。司会のEPOCALCです。どうぞよろしく。


Water Walkの読者の皆様の多くは、音楽に精通していることでしょう。そんな音楽ファンなら誰しもが持っているもの。それは

に他なりません。

若気の至りでやってしまい、今でも日々布団の中で発狂する記憶の数々。そんな所謂黒歴史は一つや二つだけではないはずです。

今回はWater Walk執筆陣の皆様からそんな失敗談を教えてもらいました。今年のクリスマスは傷をなめ合いましょう。


文化祭のBGM(リサフランク


僕は音楽にまつわる失敗談を無数に保有しているのでどれについて話そうか迷いましたが、ここでは最も可愛げのある中学時代のエピソードにしたいと思います!

僕は中二の頃、いっちょまえにハイレゾイヤホン付属の最新型ウォークマンを愛用していました。これは14歳の誕生日の時、音楽好きの両親がプレゼントしてくれたものです。マゼンタカラーがかっこよくて、よく友達に見せびらかしていました。

そんなものを使っていたから音楽に詳しそうに見えたのか、文化祭準備の際、「場を盛り上げるためのBGMを流してほしい」と僕に頼んでくるクラスメイトがいました。僕はすっかり嬉しくなって、「任せてくれ」と即座にウォークマンをスピーカーにつなぎ、曲を選びます。しかしここで問題だったのが、僕が最新型のウォークマンとハイレゾイヤホンを使って聴いていた音楽が、ゲーム音楽とボカロとニコニコ動画流星群とAviciiの「Wake Me Up」だったことです。この中で最も安牌だったであろう「Wake Me Up」という選択肢を"気分ではない"という理由から真っ先に排除し、僕がチョイスしたのはxiの「ANiMA」。当時ハマっていたリズムゲームアプリ、『DEEMO』の収録曲でした。


「ANiMA」は当時僕が最もかっこいいと思っていた曲だったのですが、少なくともこのような場で流していいものではなかった。良い反応をもらえると思いきや、めちゃくちゃ微妙な雰囲気が教室内を包みました。そこで僕は初めて周囲との感覚のズレに気が付き、"なんか思ってたのと違ったわ"などという苦しい言い訳を展開しながら、即座に「Wake Me Up」へと切り替えました。どうにかしてその場は切り抜けられたものの、非常に苦い思い出として今も心の奥深くに残っています。

非常に典型的ながら、それ故画面の中から読者のMPを削ってくるお話です。この曲が教室に流れたシーンを想像すると余計辛くなります。校内に音楽を流す場でボカロやアニソン、ゲーム音楽を流すと失敗します。あとメタルやプログレもやめましょう。サティの前衛的な曲もだめです。私がやりました。

それでも異変に気付いて途中で止めたのはとても偉いですね。最後まで流して後で悔やむ人も多そうです。
その際の「なんか思ってたのと違ったわ」の台詞にリアリズムを感じます。たった一言で表面では自分の本心を隠そうとしながらも理解されない悲しさが滲み出ています。創作では滅多に出せないでしょう。


平沢進に憧れてこの沢の世界に入りました(ハニワニハ)


目立つことが嫌いでなく、少しだけ打ち込みができ、普段聞く音楽の7割を平沢進とP-モデルが占める、テクノカットの男子高校生。そんなのが文化祭でライブする権利を得るとどうなるか。

こうなる。
高校2年生の私は、平沢進のカバーによるありがちな文化祭バンドの否定を企んだ。オケを打ち込み、レーザーハープを自作。元メンバーの髙橋芳一氏にアドバイスをもらい、友人2人を白会人にしてステージに立たせ、校内にビラを貼って回った。大した行動力だと思うかもしれないが、逆に言えば当時の私は行動力以外を持ち合わせていなかったのだ。
当日朝、一人がペストマスク以外の衣装を忘れてきた。仕方なく、制服にペストマスクというある意味本家より怪しい格好で出演させた。恐ろしいことにこれはトラブルの序章に過ぎなかった。
ステージ横のスピーカーから出る音がモノラル。レーザーハープの光が全く見えず、何をしているのか全然わからない。アウトロの長さを把握しておらず、ドラマーが叩くのを8小節くらい早く終えてしまって変な空気になる。
私は完全に意気消沈し、5曲やる予定だったライブは4曲で打ち切られた。後日、上のライブ音源をアップできたのが幸いだった。
かつて平沢進はマシントラブルに見舞われた際、堂々と「生演奏以上に何が起こるかわからないのがテクノだ」と語り、ライブを続行してみせた。

あの日、私は平沢進になれなかった。

まず今生きる音楽ファンの学生に知ってほしいことの一つに、「よくある○○を否定する」みたいなのこそよくある行動だということがあります。それで失敗してきた人をたくさん知っている上、それで失敗してきました。

しかし誰だかが言うように失敗には学びがあるもの。数々のトラブルを華麗に対処する平沢進は一見簡単にやっているように見えて、とんでもない知識と経験に裏打ちされていると彼は学んだのです。
憧れたプロを簡単に真似しようと思ってしまうのも中高時代あるあるですね。


「音楽アカウント」ってムズカシイ。(もこみ)


「音楽アカウント」ってムズカシイ。最近はありがたいことに関心を持ってくれる人も増え、それなりにフォロワーも増え、なんと仕事にも繋がり、楽しくやらせてもらっている。
 しかし、「音楽アカウント」を作ったのはこれが初めてではない。これまで何度かアカウントを作っては放棄してきた。例えばこのアカウント。今使っている音楽アカウントは三代目だろうか、○代目だろうか。何がムズカシイって、続けるのが1番ムズカシイのだ。思えば「リア垢」でも好きな音楽のYouTubeリンクを貼って「オススメ」してきた。それは特に「いいね」を集めることもなく、リンクが踏まれることもなく、最終的にはファミマの焼き鳥が当たる懸賞ツイートを時折RTするだけのアカウントになった。誰も見ていないと思いながらも、わずかに残った恥じらいが即座にRT後すぐに取り消しボタンを押させる。欲だけ残った抜け殻である。

何故こうなってしまうのか。忙しくなったから?面倒くさくなったから?パスワードを忘れたまま機種変したから?理由は千差万別。アカウントの数ほどあるだろう。
 私にとっては、それは"誰からも反応がないから"であったのだと思う。いや、「思う」というより正直に認めるほかない。わざわざインターネットで発信するのは「承認」が欲しいからだ。どんなに強がったとて、それはある程度認めざるを得ない。でもそれは、そんなに悪いことでもない。あなたが見てくれているから、私は生きていられるのだ。

これも形が変わっただけで、リサフランク氏のBGMの話と同じ構造を持っています。結局学校だろうがネットだろうが、音楽ファンは常に一人であると思っていないといけません。誰からも反応がないのは当たり前と思って続けた人だけが「承認」を得られるのです。どんな人も最初は誰も見ていない状態から始まったというのを忘れてはいけません。

あと最後の一文を見て思ったんですが、承認欲求って自分を見てくれる神様がいないと思っている現代人特有の何かなのかもしれませんね。


先生の板書(航路志望人)


それは高校3年生のある日、受験も差し迫った時期の漢文の授業中のことだった。
どんな流れだったかは全く覚えていないが、崖っぷちで落っこちそうになっている棒人間の絵を黒板に書いていた先生が突然振り返り、「皆さんはYesというバンドの『危機』というアルバムを知ってますか?」と口走った。

反射的に顔を上げてしまった私はちょうど目がバッチリ合ったが、「英語のタイトルは『Close to the Edge』というんですが…」と構わず続けながら先生は黒板にタイトルを書き始めた。
その手元をよく見ると、そこには「Cloth to the Edge」と書いてある。なんでだよ。端まで布

不安になったのか、「あれ?これスペル合ってますかね…?」とボソボソ呟きながら、先ほど目が合ったせいかこちらを真っすぐ見つめてくる漢文の先生。間違ってます。一番間違っちゃいけないとこ誤字ってます。と喉元まで出かかった言葉を飲み込み、私は必死で目を逸らした。
先生は首を傾げながらも「まあいいか…」とそこで切り上げて次の話題に移ったのにホッとしたが、結局授業が終了するまで「Cloth to the Edge」の文字はしっかりと黒板に残されたままだった。

これは非常に珍しい、音楽ファンであると表明しなかったことが裏目に出た失敗談です。

恐らく航路志望人氏は今まで見てきた数々の失敗談のようなことを経験してきたのでしょう。それ故音楽ファンとしての自分を抑えつけようとするあまり、然るべき場所で然るべき対応ができなかったのです。このようなことはその他のことについても往々にしてあります。チャンスを不意にしないよう、十分に注意しましょう。




以上、執筆陣の失敗談でした。皆通る道は同じですね。皆さんも思い出したくない過去を思い出し、発狂していることと思います。

やるかもしれない次回に向けて、読者の皆様からも音楽募集いたします。是非皆様の失敗談をお教えください。短くても構いませんよ!


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