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森君の指摘

日曜日に公開したこの記事

に書いた、

「男女が逆になってる。普通、男は女性からどう見えるかを気にするのに、逆になってる」

そこでやっと自分の苦痛の原因を理解しました。

について追記します。

しかし、男女が逆になってることを指摘した森君はよく気づきましたよね。普通、わからないと思うんだけどな。細かいことをいうと、女性からどう見えるかを気にしていなかったのは確かにその通りだけど、男性からどう見えるかを気にしていたのではなくて、性別が混乱してどういう服装をすればよいかわからなくなっていて、身体どおりの外面を維持しようとして他の男性の服装を確認していただけなんだよ。指摘されたときには、うまく言えなかったけれど。それに当時は、今ほどは、性別によらずに使えたり買える服はなかったと思うよ。


苦痛の原因は、今から考えると、

  1. 身体は男性である(ただ、原因不明で少し胸が膨らんでいるなどの女性的な特徴がある。それに当時、男性用の服を着ようとすると、ウェストに比べてヒップが大きいためにウェストを4-5cm詰める必要がありました)。

  2. 理想の身体は男性的な女性である。それには4から6の影響が大きい(ただ、身体的違和感はあるものの、現実の身体が嫌なわけではありません)。

  3. 外面の表現(服装や使う言葉など自分から表現されるもの)は男性であることを好む。好むとは、あるべきところにあるように心が落ち着くという意味です。

  4. 内面の感情(外の世界から自分に流れ込む情報によって生じる感情)は、女性としてのものの割合が高い。

  5. 恋愛や性的な思いは自分の心の中にある女性の部分が持っていて、この女性の恋愛対象や性的な対象は女性である。

  6. 自分の心の中にある男性の部分は、人間そのものにはとても関心があるけれど、恋愛や性的なことに対しては何故か女性の部分よりも関心が低い。むしろ、他人のことをあまり信じていないため、避ける傾向にある(虐待の影響があるのかもしれません)。ただし、女性の部分と同じように豊かな愛情を持っていて、人以外のもの(例えば動物や植物)に対しては心理的抵抗なく愛情を注ぐことができる。

  7. 女性の部分と男性の部分とが融合して一つの心を作っている。

ことが複雑に衝突しあっていたから、のように言語化することができます。1~6は、以前やったanone,の結果とも一応は整合しますよね。7は、anone,の設問ではわからないと思いますけれど。

しかし、私が10代の頃は、今と世の中が全く違うこともあり、例えば性的マイノリティについてもその言葉すら知らない状態でした(唯一、知っているのは、テレビから平気で流れてくるホモやオカマなどの侮蔑語・・・)。森君の指摘で当時理解したことは、性的なものを含めて自分の心にはどこか人と違う点があるのだろう(違うことは今は忘れるべき)、ということに過ぎません。

今のように適切な言葉が知られており、サポートする組織が学校に置かれているような状況で10代を迎えていれば、自分はどうしていたのだろうと思うときがあります。その場合、隠されていた虐待も明るみに出て、傷はもう少し浅くすんだのかもしれません(私が「役割」を果たさなくなることで家庭は崩壊したでしょうが、その方が良かったように思います)。虐待に適応するためか現実にはあまりはっきりしませんでしたが、一般的な家庭に育っていれば身体的違和感が強く出て、後に性別適合手術を受けることになっていたのかもしれません。逆に身体的違和感はあまり出なかった可能性もあるように思います。

ところで、今、この文章は、心の中の女性の部分と男性の部分が一体となってお互いに助け合いながら作業をしている感覚で書いています。ただし、女性の部分が感性的に、男性の部分が論理的に働いているわけではありません。女性も男性も、どちらの部分も等しく、感性的でもあるし論理的でもあります。双方が合わさって一つのものを作り上げているのですから。女性が感性を、男性が論理を担っていると思いこむことは、偏見ですよね。