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夜のシーン、時間経過がわからない問題

映画やドラマを見ていてよく陥る現象なんだが、ある一夜の出来事を描いているシーンで、いつも、これ一体夜の何時の設定なんだろう?と時間の経過感がつかめなくなる。
例えば恋愛ドラマ。
仕事終わりに友人と飲み会をして、その後彼女と公園デートして、家に帰ってから一人で趣味の時間を過ごす主人公。
美味しいお酒を飲みながら誰かに言われた言葉に感銘を受け、愛しい人との穏やかな時間を堪能し、一人優雅に音楽や読書を楽しむ。。。え?これ一夜の出来事?充実し過ぎでは?!
というかそもそも夜ってそんなに長い?
彼は、めちゃめちゃホワイト企業でお勤めで、かつすんごいショートスリーパー?といった感じで、頭の中にハテナマークが連発されるのだ。 

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私は時間の使い方が本当に苦手な人間である。
というか極度の面倒くさがりで、1日に何個も予定を入れることができない。
例え大好きな友達や恋人に会うとか、好きなアーティストのライブに行くとか、楽しみにしていた映画の鑑賞でも、1日に何個も予定が重なって、あっちこっち動き回ることになるのはしんどい。
一夜の予定は1個だ!と割とまじで決めつけている。
その日予定した用事が終わればまっすぐ家に帰る。これがマイルールだ。
平日の夜はとくに徹底して寄り道などしない。

しかし数日前、22時前まで残業したあと、ふと遠回りをして帰ってみようと思い立った。
私の会社は海の近くにあって、ビルを出たところからお台場が一望できる展望デッキまで直結しているようなナイスロケーション。
普段は家路と逆のその場所に行くことはほとんどないのだが、その日は無性に行きたくなった。
寒い中、黒く波打つ海を見ながら数分間黄昏た。ただぼーっと。
「ああ、今日も生きてるなー」と実感した。

そして気づいた!

あ、夜の22時からでもこんなことができるんだ。
仕事で疲れきった体でも家に帰ること以外のことができるんだ。
ほんの数分でも時間があれば、自分が生きている実感を得られるような体験ができるんだ!!と。

つまり、ドラマの中の主人公のような時間の使い方を、私もやろうとすればできることを初めて知ったのだ。

ドラマの主人公は、おそらく飲み会や彼女との公園デートや趣味の時間にそれぞれ何時間も割いていたわけではきっとない。(もしかすると本当に全部2〜3時間ずつくらいで、スケジュールみっちりだった可能性もなくはないが・・・)
そのうちのどれかは数分の出来事だったかもしれない。
大事なのはその予定にどれだけの時間を要したかではなく、いかに質のある時間を過ごしたかだ。

何を今更と思われるかもだが。
そんな発見も、あの数分の黄昏のおかげと考えると、
めんどくさがりって本当に損だとつくづく思う今日この頃なのだ。

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