「大丈夫ですか?」ではなく「僕に出来ることはありますか?」

皆さんは道端で何かに困っている人を見かけた時声をかけますか?
声をかける方はなんと声をかけますか?

こんなことを言うと、そんなことまで考えてなくても、そういう場面に出くわしたら自然と対処出来るよと言われてしまうかも知れません。
実際以前の僕はそういう考えでした。

しかし、これがなかなかうまくいかないものだとつい最近知りました。


これは9月の4連休のときの話。
僕は友達と一緒に電車から降りました。
ふと左側を見ると少し離れたところに両手に荷物を抱えたおばさんが1人。

改札に向かうためには階段を登る必要がありました。
僕の友達は既に階段を登り始めていて、僕も一緒に追いつこうと右側を向き階段に向かいました。

でも僕はやっぱり荷物を持って一緒に階段を登るべきじゃないかなと感じたわけです。
だから一度引き返しておばさんに「大丈夫ですか?」と声をかけました。

するとおばさんは苦笑いをしながら「大丈夫だよ、行きな」と一言。

やってしまった。

そりゃあそうですよね。
おばさんから見たら僕は前を歩いていたわけで僕の行動をおばさんは見ているわけです。
僕はおばさんの様子を見てすぐに助けに行こうとしたわけではなく、一度無視しているわけだから気を遣わせてしまったのかな。
その時はそう感じていました。

僕はこの時少しショックを受けました。
自分は何かで困っている人を見た時すぐに助けられると思っていたから。

でもこの時始めに考えたのは、もし声をかけて断られたら周りの人は僕のことをどんな風に思うんだろう。そんなどうでも良いことだったんです。

冷静に考えてみれば周りの目と言っても、その場限りの人がほとんどなわけです。そんなのどう思われようと別に関係ないなってあとになって気づきました。

だから次こういう場面に遭遇したときは迷わず「大丈夫ですか?」と声をかけよう。そう決めました。


と、本来ははここまでを記事にしようとしていたのですが、一昨日そんな考えを変化させる出来事がありました。


それは夜のバイトが終わった帰り道のこと。

自転車で比較的明るく車通りもまぁまぁあるような大通りを走行していました。すると車道付近に座り込む男の子とそこに寄り添うお母さん、おばあちゃんの姿がありました。

僕はちゃんと経験したことを活かすんだと思い自転車を近くに停め、駆け寄り「大丈夫ですか?」と声をかけました。

すると男の子のお母さんが一言。

「大丈夫です。ありがとうございます。」

そう言ったお母さんの表情は僕に気を遣うかのように苦笑いでした。

え、違う。
この光景この前と変わらないじゃん。

そこで僕はもう一度声をかけました。

僕に出来ることはなにかありますか?

するとお母さんは申し訳無さそうな表情を浮かべつつも少し嬉しそうに

「歩道の安全なところまで運んでほしいです。」

そう言いました。

そこからはお母さん、おばあちゃんと一緒に男の子を歩道に運びました。


落ち着いてから聞いた話ですが、男の子はちょうど悩みの多い思春期真っ只中だったようで車道に飛び出そうとしていてかなり危険な状況だったみたいです。

そんな状況下でも「大丈夫ですか?」と質問してしまうと気を遣ってしまうんですよね。

だからこういうときは「僕に出来ることはなにかありますか?」なんだなと気づきました。
もちろん自分にできることが明らかなときは「~しましょうか?」になるんだと思います。


確かに自分が言われる側になったことを想像してみると「大丈夫ですか?」よりも後者のほうがより頼みやすいと分かります。
だって明らかに大丈夫ではないから声をかけたのに「大丈夫ですか?」と聞かれたらそりゃあ気を遣ってしまう人もいますよね。


その後コンビニでその親子に会ったのですが何度も「ありがとうございました」と言われました。

もちろん人に感謝してもらえることってすごく嬉しかったのですが、そんなのはお互い様でむしろ今回の場合は僕も多くのことを教わりました。


今回この一通りの出来事を通して学んだことはとても大きかった気がします。

1つ目は無視していい自分の存在に気づけたこと。

初めにも書いたように僕は困っている人を見かけたらすぐに声をかけられるような人だと勝手に思い込んでいました。
だからよく海外の番組とかで困っている人がいたら助けるかみたいな企画を見ていると「どうして困っているのに助けない人がいるんだろう」と思っていました。

でもいざそういう場面に出くわしたときにすぐに声をかけるのって想像以上に難しくて、他のいらない想像をしてしまう自分の存在に気づきました。

そんな無視しても良い自分に気づけたからこそ、この先何かあったときに迷わず声をかけられるようになっていくと思います。
実際一昨日も迷いはなくなっていましたから。


そしてもう1つが言葉を選ぶ難しさ。

声をかけるという事実を作りたいなら何も考えずに言葉を発すれば良いかもしれません。

でも、自分から声をかけるような人の中にそんな人はいないと思います。
何かしらの想いがあるから声をかけるわけですよね。

だからこそ、その気持ちを乗せてその場にあった言葉を選ぶ。
難しいけど大切なことなんだと気づきました。


せっかく今回の出来事を通して得ることができたのでこの先、それが僕にとっての当たり前にできるようにしたいです。

みなさんもぜひこの機会に道端に困っている人がいたときに自分がどう反応するか想像してみてはいかがでしょうか。


いつか当たり前になったとき、誰かを笑顔にできますように。


あ、やった。久しぶりに2000字超えた。笑
今日もここまで読んでくださりありがとうございます。


では、また。

いつか僕の記事を読んでここのボタンを押してもらえた時には、夢叶えて誰かを笑顔にするために使います。もしも僕にその価値を見出してくださった時には精一杯の感謝を!