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文章で誰かを感動させられるまで

noteでの投稿をいつまで続けていくのか。

文章を発信し始めてから約3年と8カ月。
ふとした時に、この活動の終わりを考えたりすることがあります。

このことは、僕がフォローしている方も記事にしていたのですが、noteって離れていく人が多いように感じます。

だから、折角その人が書く文章が好きでフォローしたり、コメント上で交流したり、おぉ楽しくなってきたって思っていると突然更新が止まってしまうなんてことが度々起きます。

僕の記事が気に入ったと言って、何度もサポートしてくださった方も急にnoteを辞めてしまいました。

もちろん、その方々は何かしらの決断をして離れているので、そこについてとやかく言うつもりはないのですが、僕としては結構寂しかったりします。

そして、そんな寂しさと同時に、自分はどんな感じでnoteを去るんだろうなって考えるわけです。

命が尽きるまで?
それとも、新しい家族ができるまで?
それとも、退職するまで?

今までは学生という身分で、小・中・高・大・大学院と大きな区切りがあったので、何かを辞めるタイミングというのを作ろうと思えば作れたわけですが、これから先の人生では、別に明確な区切りというものはないような気がしています。

だからこそ、辞め時が難しい。

結局、いつも辞めるタイミングについては保留ということで考えることを辞めてきました。


ただ、今日ふと、なぜ自分は辞めないんだろうって思ったんです。
だって、別にnoteは優先順位が高いわけではないし、他のやるべきことを考えたら、その分早く寝たり、休憩に使えるわけです。

それなのに、すぐ怠ける僕なのに、気づけばいつもnoteに戻ってきている。

今まで気づきませんでしたが、これは随分不思議なことです。
じゃあ、それはなぜなのか。

そんなことを考えていた時に、これじゃないかという答えに辿り着きました。それが、誰かの価値観に影響を与えてしまうような記事を書いてみたいという、うっすらと掲げた目標があることです。

文章でも、音楽でも、絵画でも、誰かが表現した作品を通じて、自分の価値観を一変させるような衝撃を感じることが時々あります。
その作品に触れたことで、今までの考え方が変わり少し生きやすくなれたような感覚に陥るあの瞬間。

そして、いったん落ち着いたと思いきや、今度はその作品を作った人の人柄や生い立ちが気になり、徐々に徐々に作者の虜になっていく感覚。

僕も記事を通して、そんな瞬間を作りたいと密かに思っています。
だから、コメントやSNS、中には直接記事に対する感想や意見をいただいた時、本当に嬉しいんですよね。

衝撃を与えるとまではいかないけれど、少しだけその方の心を動かせた気がして。それがもしかしたら、いつか大きなキッカケに変わることもあるかもしれないって思うと、すごく嬉しくなります(もちろんまだ妄想でしかないけれど)。

いつか、そんな瞬間を重ねながら、慎重に慎重にありのままの自分を表現した先で、誰かの価値観を揺るがすような衝撃を与えられたら、その時に、もうnoteは離れてもいいかなって思えるのかもしれません。


その時の感情はまだわからないけれど、とりあえず、今の僕にはまだnoteを続ける理由がありそうです。

今日もここまでのお付き合いありがとうございました!


では、また。

いつか僕の記事を読んでここのボタンを押してもらえた時には、夢叶えて誰かを笑顔にするために使います。もしも僕にその価値を見出してくださった時には精一杯の感謝を!