大切なもの忘れないように目隠しを外して
人を見抜くって難しい。
相手のことをちゃんと見れるようになったと思っていても、まだまだ知らない部分がたくさんあったり、本当の姿を見れていなかったり。
どこまで相手のことを知るべきなのかすらわからないですよね。
この人を見抜くことについて僕が先日教わったことを記事にします。
先日飲み会に友達のO君と行ったときのこと、彼からこんなことを言われました。
「そう言えば、N君がサクラサクのことを褒めてたよ」って。
僕にとってはこのことがものすごく驚きだったんですよね。
なぜなら僕はN君が苦手だったから。
もちろん、嫌いではありません。
むしろN君も僕の大切な人の1人です。
ただ、N君って思ったことをズバリという人で、彼に言われる嫌なくらいに真っ直ぐな正論が結構傷つくんです。
以前、僕の心に余裕がなかった時、「それは自分がうまく行ってないことを言い訳にしてるだけ」って怒られましたから。笑
それでも、そんな彼が僕にとって大切な理由は僕にそんなはっきりと物事を言ってくれる人がいないから。
僕もそうですが普通仲良くなってくると言いたいことがあっても少しオブラートに包んだような言い方になることが多くなる気がします。
しかしN君はそんなに仲良くなった相手でもそんな接し方をするんですよね。
もちろん言いすぎじゃないかと感じることもありますが、それが彼にとっての自分らしさなのかなって感じていました。
だからこそ、N君にとって僕は欠点の多い人にしか見えてないんだろうなと思っていたんです。
それなのに僕がいない時に僕のことを褒めてくれたみたいです。
それも、結構具体的な部分を上げて。
O君からその話を聞いた時ものすごく嬉しかったです。
声のトーンも自分がわかるくらい上がってしまいました。笑
それと同時に思いました。
僕と一緒にいる時だけが僕との接し方じゃないんだなって。
仮に自分を傷つけようとしているように見えても、その接し方だけで相手が自分に対してどう思っているかなんてわからないんですね。
こんな出来事は周りの目を気にしてしまう僕にとって結構大きな経験になります。
なぜならこの経験を通して逆の事も言えるとわかったからです。
どういうことかというと、楽しそうに話していてくれる友達も裏ではすごく嫌な思いをしているかもしれない。
つまりどんなに相手のことを知ろうとしても知り得ない点は必ずあるということ。そしてそんな部分は僕が何をしてもわからないんです。
だからそんな部分を気にしてないで、自分が大切にしようと決めた人を自分なりに大切にしていればいいんだなって思いました。
それで相手が距離を置きたいならそれはそれで仕方ないことなんだなって思います。
少なくとも僕には全員と心の底から分かり合うなんて無理ですから。
逆にそんな心からわかり合える人が1人でもいればだいぶ心に余裕ができる気がします。
実際、僕はそんな人がいるということに最近気づいてから少し人との接し方で無理することが減りましたから。
あ、この話はまた詳しく別の機会に書きますね。
相手を深く知ろうとするのは大切なこと。
でも見抜くことはできない。
だから僕なりの方法で大切にしたい人を大切にする。
また1つ大切なことに気づくことができました。
人生って人に触れるたび何かしらの発見ができるので面白いですね。
そんな面白さに気づいたのもnoteを書き始めてからのことですが。笑
今日もここまで読んでいただきありがとうございました!
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では、また。
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