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【楽気7月企画②】《凄い》は《偉い(地位・身分)》じゃない!

筆者: 私/marina https://instagram.com/0m2m.n
楽気 https://luck-key.jimdosite.com

 中国地方は曇りと雨。現在も注意報と警報が続いている地域も多いですが、これを読んでいるということは該当地域以外か、比較的雨の少ない地域の方だと思います。
 エネルギーの法則でいえば、“災害が来る“という前提で備えることはあまりよくないのかもしれませんが、日本が島国である以上避けられない災害はあるものです。火山が多いからこそ、この国には温泉という素晴らしい文化がありますし、昔から地震や台風が多いのも日本のかたちや場所が大きく関わっているのでしょう。
 いつ来るかも分からない大災害に四六時中怯える必要はありませんが、何事にも表と裏が存在するもの。娯楽や四季、様々な日本独自の文化と災害は表裏一体なのかもしれませんね。


 前回のnote https://note.com/watashio_o/n/n3acaa0491224 を書いた後に、ハイヤーセルフに「今の世の中に何か発信したいことはある?」と聞いたところ「《凄い》と《偉い(地位・身分)》は違うという話題にしよう」と言われました。これは私も前々から気をつけて意識している部分だったので、もしかしたら、今のこの時期だからこそ刺さる人たちがいるのではと思いキーボードを叩いている次第です。

 《凄い》と《偉い》は違う
 私は全ての人間が持っている時に繊細で時にパワフルな能力を心の底から凄いと思っていますし、自らを誇り、他者から称賛されるべきだとも思います。しかし、それは決して特定の誰かを故意に祭り上げたり、能力の追いつかない過度な社会的地位に就かせるということではないのです。
 私は“見える“・“感じる“ことに対して理解のある血筋に生まれたので、それを当たり前だと思って生きてきました。今もそうです。周りにも感覚的な人間が多く、同じように見えたり感じたりするのだから当然といえば当然です。逆に特別感がないので、今でもハイヤーセルフと会話できたりオーラが見えることより、身体を柔軟に動かせたり手先が器用だったりする方が凄いと感じてしまいます。
 これは謙遜ではなく、実際に私にとってはそっちの方が凄い能力だからです。ないものねだりなのかもしれませんが笑

 しかし、他者にアドバイスしたり、行動のきっかけを与えるようなポジションは時に「先生」と呼ばれる立ち位置を作り上げてしまいます。
 私はまだこういった界隈の中では若いのでそこまでかもしれませんが、人間は「先生」と呼ばれ、他者の言動を指摘したり左右する立場になると、特に《凄い》と《偉い》を勘違いしてしまいがちになります。先生だけではなく職場内での地位だったり、家族や友人・グループでの精神的な立ち位置だったり、いつの間にか“偉い人“になってしまうタイミングは誰にでもあります。小さな子どもでも周りを扇動するのが得意な子はいますからね。
 このような立場になった時に、目の前の相手を自分よりも下の地位・立ち位置だと勝手に判断し、己の言動を変えるようになってしまうと、あなたは途端にこの広大な地球や宇宙に充満するエネルギーの波を転がり落ちてしまうのです。
 勿論、この物質世界には立場上の偉いや地位というものが存在しますが、これはエネルギーの話。エネルギー体である私たちには上下も左右もありません。自分自身が勝手に定めているだけなのです。
 誰かを上に定めれば、あなたは蔑まれたり奪われる立場を演じなくてはなりません。反対に自分を上に定めれば、威圧的で搾取する立場を演じることになるのです。

 あなたは本当に《凄い人》です。でも、それがイコール《偉い》に繋がるのかは分かりません。
 親と子なら親が偉い(決定権を持っている場面が多い)、先生と生徒なら先生が偉い(勉学を教える立場)、私とAさんなら私が偉い(職場での地位)。じゃあ、エネルギーとして捉えたらどっちが偉いの? ───それは勿論、全てが同じ原子の粒です。

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