見出し画像

高次脳で絶望した話⑦

高次脳で絶望した話⑦

何のために大学に来たのか

世の中の福祉に対するイメージは
たぶんいいと思う。

優しさ
慈悲

他社貢献
思いやり

…まあこんなところだろうか。

じゃあわたしは、
誰かを思いやるために
優しさで世の中を包むために
慈悲深く愛を持って奉仕するために

福祉大学に入学したのか
と言うとそうではない。

自分が助かりたかったのだ。

もうわたしは溺れる寸前。

他人のことを気にかけている余裕はなかった。

新たに価値をつけて、
わたしの生を肯定しなくては
もう生きている意味がない
と思える所まできていた。

福祉は
溺れかかっているわたしが
助かる手段のひとつに過ぎなかった。

福祉を選んだ理由は自分が助かるため

福祉の学びには、
間違いなく恩恵を受けられる存在だと思った。

だってわたし
社会的弱者(障害者)だし。

そして何より、福祉が提供する支援を
「どんな支援が必要なのか」を
助けてもらう側の目線で判断できる。

わたしの存在は、
支援者(助ける側)
要支援者(助けてもらう側)
どちらでもない。

福祉のニーズを理解できる存在になれる
という確信があった。

新たに価値を付けるために
わたしは福祉という学問を利用した。
自分のために。

でも、もうひとつがやっぱり最大の理由かな。

めちゃくちゃ烏滸がましいことは承知しているが、
わたしは、
同じような苦しみを持つ人の助けになりたかった。

死ぬほど共感するから。

何につまづいて
どのような壁があって
煮詰めた思考の末何に苦しむのか
どんな景色が待っているのか

わたしも見てきたから。

支援者立場の目線ではなくて
助けられる側にいながら
助けたかった。

わたしのような思いをする人の
力になりたかったの。

わたしはそのために福祉を選んだ。

なのに、
もう自分を助ける術も誰かを助ける術も
なくなってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?