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高次脳で絶望した話④

高次脳で絶望した話④

人一倍時間をかけないと回らない生活は、もはやわたしにとって当たり前

障害は不便だけど、不幸ではない。

共感して頷きすぎて首もげそう。

人より手間や労力がかかる日常を
そもそも努力だと思っていない。

わたしにしたら、
普通で当たり前のことをこなしてるだけ。

当たり前にこなせる範囲が
健康な人と少し違うだけ。

無意識にできる呼吸と同じよ。

ひとり暮らしエピソード①


ひとり暮らしエピソード②

わたしにとったら何もかも日常の一部。
何でもないこと。

だけど、
誰かにとってわたしが手間暇かける日常は
面倒で、労力が余分にかかって、遠回りで、
非日常だ。



でもあのね、
すごい暴論でびっくりすると思うんだけど
わたしのただの独り言だと
思って聞いてほしい。


自分が生きてるだけで
周りは勝手に感謝して
勝手に感動して
勝手にありがたがるのよ。

わたしはわたしのために息を吸って
わたしのために身体を動かして
わたしのために大学に入って
わたしのために勉強している。

全部自分のためなの。

(最初は、呼吸するのも
体を動かすのも全部他人のためだった。
だってよろこぶから。わたし以外のみんなが。

わたしが話したり笑ったり立って歩いて、
トイレに行くだけでみんなが喜ぶから。

でも、
結果的にその成果は
すべてわたしのものになった)

生きることは他の誰のためでもないの。

わたしが吸った酸素が
誰かに供給されるわけでもないし。

みんながみんな、
自分のために生きている。

それは、わたしも同じで
自分のためにいまも生きている。

それが思いもよらないところで、
全然知らない他人に感謝されたり
与えようと思って行動してなくても
勝手に感動していくのよ。

「ありがとう」って感謝して、
わたしの姿を見た人が
感動したとかうれしいって涙を流すの。

(ちょっと待って、あなたは一体誰なの??
って思ってる。悪気は無い)

わたしは誰かを感動させたくて
大学に行ってるわけじゃない。

誰かのために生きてるわけじゃないの。

それでも勝手に感動していくんだから
いいのよ、相手次第で。

だからみんな堂々と息吸えばいいのよ。

誰かに何かを働きかけなくても
周りが勝手に受けとって心が動くんだから。

正直、誰かに何かを与えようとか
誰かのために行動しようなんて思わなくていい。
自分が生き延びるのに精一杯だから。

(ちなみにわたしは
他人を気にかける余裕も労力もないよ
いつもギリギリで崖っぷちを生きてるからな)


こんな身体になって、
誰の役にも経ってないと思ってしまうのは、
きっと優しいからなのね。

人の役に立つことを自己実現だと思っているから。

あなたは呼吸するだけで許されているのよ。

それだけで他人は癒されている。


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