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高次脳で絶望した話⑥

高次脳で絶望した話⑥

障害は努力でカバーすればいいと思っていた

時間をかければなんでもできると思っていた。

実際、困ることはそんなになかったのだ
時間をかければ。

でも人間同士のコミュニケーションだと
そうもいかなかった。

簡単な議論は何の問題もなかった。

でも大人数では話の流れがとにかく早い。

自分の脳では
処理できる情報が限られている。

たぶん健常な人の脳みそよりも
圧倒的に精度は低い。

自分の理解が追いつく前に
話題は次々と変化していく。

その場で話を理解して、
自分の意見を言う場面で
初めて自分が「話の流れについていけてない」
と自覚した。

高次脳機能障害の苦しみは
「理解できていない」自分のことは理解出来る

ところにあると思う。

計算が出来なくて、
しょっちゅう電車の乗り換えで間違えて
道で迷子になっている脳みそでさえ、
話の流れが理解できていない自分というのは
理解できるのだ。

「理解できない」ということすら、
理解できないくらい
脳みそが破壊されていたら
こんなに苦しまなかったかもしれない、

と何百回思ったことだろうか。

生殺しだよ。

こんなところの脳細胞だけは
ちゃんと残すなんて。

残酷じゃないか。

いちばん苦しい部分の手前までは、
理解できるなんて。

そんなことせずに、
いっその事全部を殺してくれって思った。

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