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高次脳で絶望した話②

高次脳で絶望した話②

障害は自分の持ち物であり、自己責任であるという思想

わたしは家系的(家庭環境的)に
「自己責任」で育っている。

全て自己選択をしてきた。

小さい頃から、ずっと。

「お前が選んで、お前が責任を取れ」
という育ち方をしてきた。

自分の力で実行し、
足りない部分は自分の努力で補い、
人を助けることはあっても人には頼らない、
実力主義、弱肉強食、みたいな。

みんなで助け合いだとか、
お互い様とか、
多様性尊重とか、
弱者救済とか、
福祉とはまるで対極な思想を持って育った。

そんな思想で育った後に
いきなり障害者になったんだが、
障害者になったからといって
誰かに助けを求めるという発想には
全くならなかった。当然だが。

障害で明らかに不利な状況であっても
それを自分の責任の範囲でカバーするという
なんともストイックな怪物が出来上がった。

わたしの能力が不足しているんだから、
周りに頼ったり迷惑をかけてはいけない。
障害の不利益は、
全てわたしの努力でカバーしてみせる。

間に合わないなら、前倒し。

時間がかかるのなら、
周りが取り掛かる前にやり始める。

この身体で生き伸びるには
どうしたらいいのか、などと考えていた。

だから、
障害は当事者にあるのではなく
社会側にある

という理論がなかなか理解できなかった。

わたしは、
障害も自分の努力でカバーするもの
と思っていた。


※福祉大学で驚いたこと

わたしは社会人入試で入学したんだが、
障害者と言えど元々独立した存在(大人)
だった。

あれやこれやと障害学生に配慮し、
根回しする大学の動きには
驚きの連続だった。

え、
こんなにしてもらっていいの??

って。

福祉思想だからなのか
障害学生だからなのか
両方かもしれないが

とにかく、驚いた。

(これについては、またゆっくり書こう)

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