見出し画像

高次脳で絶望した話⑪

高次脳で絶望した話⑪

自己開示していくこと

わたしはこれができない
あれが苦手って他人に説明することって
この社会で生きていくために
すごく重要だと思うのね。

障害者は配慮されるべき
高齢者は尊敬される存在
子どもは守られることが当たり前

誰に聞いても「そりゃそうだ」といいそうだが、

人間って自分が生きることに必死だから

もし自分が必死な状態だったら
他人に気遣えなくない?

他人も悪気があって素通りしてるんじゃなくて、
必死すぎて自分しか見えてないのよ。

(現代人は忙しい。
何かに追われているよね、いつも)

助けてくれないから
冷たい人ってわけじゃないの。

その人も、
その人の役割を全うするのに必死なの。


わたし達は
そういう社会で生きていかなくてはいけない。

(「配慮されて当たり前だ」と
誰かが優しく手を差し伸べてくれるまで
待ってたら、
たぶん気付いたら墓だと思う)

わたし達側からも
ちゃんと声をかけたり
相手を気遣ったりすることって必要だと思う。

障害者云々ではなくて
人間としての素質だよね。

もし自分の力が及ばず
誰かの力を借りることになった時、
相手が助けやすい状態にしておくことって
障害者側ができる
相手への心遣いだと思う。

障害者として生きていく

助けてもらうために
わたしが整理したことは3つ。

・自分の力でできること
・時間をかければできること
・できないこと

を理解しておく。

できれば伝わりやすいように
文章化するとなおよい。

(※わたしの場合は
助けを求める基準も設けるよ。

「あ、これは自分の力では
どう頑張っても無理だから
誰かに助けてもらおう」
という具合に。)

最後に、
助けてもらった後、

※これが一番大事!!

相手に感謝すること。

「ありがとう」と感謝すれば、
相手はわたし達を助けたことで
「自分の力で誰かを助けることができた」
という達成感や成功体験を積むことができる。

もしかしたらこれをきっかけに
他の困ってる人を助けてくれるかもしれない。

わたしたちは
助けてもらう側が圧倒的におおいけど、
だからって受け取るという思考ではなく、
ちゃんと相手にも与えること。

それは誰かに与えられるギフトだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?