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永遠なんて

『永遠なんて、存在するわけがない』

何かに執着しないよう、常にこの定義を持ちながら生きている。
私の愛はとても重たい。想像を遥かに超える重さだ。
生半可な気持ちで受け取ろうとすると怖くて逃げ出してしまう。
覚悟を持てた人だけに与えられ、受け取ることのできる、愛なのだ。




中学時代に仲が良かった友人が同じ陸上部に入ると信じていたのに、
でもその友人には校外で同じテニスクラブに入っていた、
私より仲が良い子たちがいて、
私の知らぬ間にソフトテニス部に入っていたことを後に知った。
私は怒り狂い、その子をひどく責め立て、友人としての縁を切ってしまった。

その頃の私は、友人関係が永遠に続くと信じていたのだろう。

誰も悪くないのに、友人も、私も傷ついた。




高校時代にいつも二人きりで遊ぶ仲の良い友人がいた。
建築学科で製図の課題の締切前なんかは、
ガラケーのメールでふざけ合いながら一緒に徹夜した。
高校卒業後すぐにその友人は就職、私は専門学生とライフスタイルが大きく異なったけれど、変わらず、いつも二人きりで遊んでいた。
でも気づいたらその友人には同期という名の仲間ができたり、
同期の中から彼氏ができたりして、
なんだか住む世界が違ってしまったような、
疎外感を感じるようになったしまった。
いつもは毎週末会えていたのに、会えない日々の方が増えていった。

気づいたら誘われても、何かしらの理由をつけて断るようになっていった。

結婚式にも呼ばれたけれど、行く気になれず、断った。




愛しすぎると傷つけてしまう。
相手も自分も。
そしてそれを執着だということも知った。

人は必ず変わっていくものだということも知った。
さまざまな要因で変わり、離れていく姿を見ることで、
自分自身が変わってしまうことも。

刹那的な考えを持ち、執着を諦めることで、楽に生きられるようになった。
人に執着することも、反対に執着されることも無くなった。
永遠など存在しないのだから、と。

その考え方が定着してからは、
他人からよく「ドライだよね」と言われることが増えた。
そんな時は否定も肯定もせず、ただ相槌を打った。




恋愛なんか特に上手くいった記憶がない。
友達以上恋人未満の異性の友人No. 1の人間が、
ドライだと思ってた女が、
突然告白なんかしてきちゃうもんだから、男はびっくりして、
フラれる一方だった。
やっぱり私の愛を受け止められる男がいなかった。なんてね。





でも、昨日ふと思ったんだ。
私はずっと、永遠を求めて生きているんだなって。
だからこそ、信じる以上の期待をするから、ひどく傷ついてしまうんだと。
叶うことのないものだからこそ、その存在に出会えたならば、
それ以上何もいらないんだなって。
最高の人生にしかならないじゃないかって。



幸せなことに、
高校時代から今日まで、住む場所がどんなに遠く離れても、
途切れることなく仲の良いひとつ年下の後輩は、
私が後輩を愛するよりも、ずっとずっと重たい愛で私を愛してくれる。
十数年と、永遠には程遠い年月だけど、永遠を信じてみたくなる人ではある。



片手の指の数より少なくて良いから、
そんなに多くの人にこの重たい愛は渡せないから、
永遠を想像できる人に出会いたいと思う。









またいつかこの世を去るときに、ふと思いたい。
『永遠は存在した』と。

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