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猜疑心

行きつく先は自分。
自分だったらどう考える。自分ならどうする。普通だったら、皆だったらなんて関係ない。自分は自分の主観以上の世界を見ることはできない。

想像することはできる。思いを馳せ、共感し、学ぶことができる。
しかし追い詰められて視野が狭まればその限りではない。
自分の経験から、自分の信念から、蝕まれた視野の中で選び取るしかない。

あの時はどうだった?奴は裏切った。
あの時はどうだった?奴は去っていった。
あの時はどうなった?奴を信じて失敗した。
あの時の奴は、あの時の奴は、奴は、奴は奴は奴は奴は奴は奴は。

疑う心は健全な防衛本能からくるものだ。
過酷な環境においてそれは生き残る力を与え、強くしてくれる。
そんなに強くならなくても、十分生きていく道はあるというのに。
ただひたすらに細く、狭く。

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