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まずは殴られることから始めることにした

殴り方、殴られる程度、殴られることが持つ意味、その原動力。
不快感の表し方、結託の仕方、嫌味の言い方、嫌うやり方。
自分に向けた攻撃にはあらゆる情報が含まれている。

仕事をよく進めるうえで、権限のある誰かに取り入る、売り込む、植え付ける。有利にことを運ぶための人心の掌握は不可欠だ。
悠長に外堀を埋めることがセオリーだが、一方でのんびり篭絡できるほど猶予を持たせられることは少ない。

だからプロセスを省略する。
行動し、挑発し、追い込み、感情を無理やり引きずり出す。
仕掛けて仕掛けて仕掛けまくる。そして自分を傷つける。

その恐怖、その嫌悪、その無力感を自分に刻み込め。

成功者は皆ゲームが好きだ。自己表現の機会が与えられるからだ。存分に腕を振るって相手に打ち勝つ機会、これが、いろいろな競争や競技を成立させる。優位を占めたい欲求、重要感を得たい願望、これを刺激するのだ。

人を動かす / D・カーネギー著 山口博訳

その実、相手も必死であるはずだ。
よっぽどの癇癪持ちの湯沸かし器なら別だが、誰かに大きな感情を向けたり、それに従って行動するというのは多分にエネルギーがかかる。
競争力のない集団で馴れ合いが横行したり、事なかれ主義となるのは本来的に感情がかき乱されることを避けていると言える。
(そしてそれはいつしか大きな感情を持つこともできなくなる)

時に自分の欠点を認めることはできても、それを矯正できるかは別問題だ。
うわべの行動だけ直せばいいということではない。
根底には感情や価値観や育ちの環境が影響していて、一から育て直すようなインパクトがない限り、改善することはあり得ない。
一方自分以上の何かを動かそうとするならば、自分自身の成長が不可欠だ。最初から完成した人間や人格などない。目にある種の狂気や歪みをはらまない限り、それは凡人の一生に終わるだろう。

自分が傷つくことを恐れるな。
相手を傷つけることも恐れるな。

肉体は感情の乗り物だというのなら、感情からかき乱せ。
それは一時的には苦しいものになるだろう。
いたたまれず申し訳なく、自分の無力に直面するだろう。その時こそ自分がもう一段成長するチャンスだ。
相手もまたいたたまれずに普段は出ないような発言や価値観にもとづいた発言をするだろう。その時こそ交渉の土台に上がったサインだ。
どうか。
俯瞰して見れば、これほどの好機となりえるシーンもない。

だからまずは殴られに行く。相手が殴りたくなるように仕向けに行く。
もちろん、ただで殴られてやるつもりもない。
自分が手傷を負うのだから、それ相応のメリットを用意しなければならない諸刃の手段だ。

時間さえ許せば、こんな手を使う必要もないのだろう。
しかしこの加速した現代においては、そんな猶予は残されていないのだ。

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