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絶望に立たされて、何度でも


こんにちは。

つい最近まで夜中死ぬほど寒かったのに、今はだいぶ暖かくなってきて

昼の強い日差しに当たりながらすっぴんでこの記事を書いています。


今回のタイトルは「絶望」。

20歳の春にして早くも人生の分岐点に立たされた私の体験についてお話しします。

今日も最後までお付き合いください。



1.2021年3月1日



まずはこれをご覧ください。


私の人生の分岐点、そう、「留年」です。


2021年3月1日。大学2年生の成績発表の日。私はたったこの2文字で深い絶望を経験しました。

この瞬間は、意外と冷静になれるものです。

現実を受け止めているわけでもなく、ただ単に、「あ、死のうかな」となんとなく1時間くらい考え、そこから涙が枯れはてるほど泣きました。


薬学部のテストは死ぬほどつらいです。

2週間かけて15教科ほどこなし、私の大学では5教科落単で留年が決定します。

なぜか自信がありました。

1年生の時もなんだかんだ大丈夫だったしなんとかなる、と思っていました。

決して不真面目に授業を受けていたわけではありません。授業を休んだ日は本当に体調が悪いときだけ。

実習も正当な理由がない限り休めません。私は1回も休みませんでした。

けど。

いくら地獄みたいな環境ですぐそこに留年があるとわかっていても、いざなってみると違う景色。

まずは自分との葛藤、そして親との話し合い。そして孤独の辛さ。先が見えない未来に、1か月間苦しむことになるのです。



2.葛藤



辞めようか。何もかも捨てて家から出ていこうか。大学内で「留年生」という類で見られたくない。親にも怒られてしまう。このまま道路に身を投げ出そうか。このまま踏切で立ち止まろうか。

一番つらかったのは親に怒られることでもない、紛れもなく、自分との葛藤でした。

「これからどう生きていくのか」

世界に見捨てられた気分でした。

大学辞めたら、高卒になるのか。どこで働こうかな。あ、バイト先の社員になろうかな。

なんとなく開いたリクルートは、大卒が当たり前のように条件に入っていて、自分に入れるところはどこもないと秒で教えてくれました。


丸一日経って、涙も出なくなってぼーっとしてた時です。


「続けたいな、大学」


楽しかったなあ。毎日進級できるかおびえながらも友達と切磋琢磨し合って頑張ったこの2年間。暗くなるまでやった学内実習。月曜日から金曜日までの地獄のスケジュール。楽しかったなあ、授業も意外と。

6年間のうちのたった2年間しか通っていないのに、なんとなく楽しい思い出がよみがえってきたんです。

ここで辞めたらもったいないんじゃないかな。だって、やらなかったらそこで人生は終わり。やればまだ薬剤師になれる道はある。諦めたらだめなんじゃないかな。せっかく入学したんだから、卒業するべきなんじゃないかな。

この2年間、別に無駄な生活を送ったわけじゃなかった。夢に向かって着々と進んできた。無駄じゃなかった。


勉強がんばったもんなー



3.親から背中を押されて



こんな結果を隠し通せるわけもないので、成績が出た瞬間、親に伝えました。

私を見るたびに母親はため息をつきました。

父親は千葉で仕事をしているため、電話で伝えることになりました。

この生活環境に耐えられず、私は無心でバイトを続けていました。

「大学続けたいな」

そう思った日の夜中に、父親に電話をしました。

今思い返すと、あんなに殺されるに違いないと思っていたのに私の両親はいたって声を荒げることもなく冷静でした。両親も絶望していたんだと思います。

暗い部屋で、父に電話越しに土下座をしました。震える声で言いました。

「この2年間、大学で学んできたことは無駄ではありませんでした。どうかチャンスをください。私はやっと開けたこの道を捨てたくないんです。」


父は数秒間黙っていました。


「お前のプライドが高いのは、親だから一番わかっているんだよ。その言葉が最初から出てこないとだめじゃないか。」


「親として学費とかいろんなことを考えなければならないから今すぐ許可することはできない。でもな、これだけは言える。社会人になって、1年浪人したとか留年したとか何年人生を無駄にしたとか、そんなの関係ないんだよ。実績を作った人が成り上がっていく世の中なんだから。現に数年前までパパの部下だった人が今では上司になってたりする。年下が偉そうに指図してきたりするんだぞ。今ここでくじけてどうするんだよ。社会人になってからのほうがプライドずたずたにされるのに。パパはいろんな世界を見てきた。だからお前に厳しくしてるんだよ。そんな世界を見てもらいたくないから


私が声を荒げて電話をブチ切っても寄り添ってくれた父


甘えていた。自分は相当親に甘えていたんだと。

感謝と、自分への怒りと、なんだかその時喋っていた暗い自分の部屋が寒いのと、いろんな思いがこみ上げてきて、また泣きました。



4.自分を変えるきっかけ、変わる努力



これでもかというくらい両親と話し合い続けて、今回の1年留年をお許しいただくことになりました。


留年して。

周りの友達は一気に変わり、同級生だった子は一個上に。一個下の子たちは私の同級生に。
変ですね。変でした。

そして、暇でした。
バイトももちろん禁止されていたので、ずっと部屋の窓から同じ景色を眺めているだけ。鬱になるかと思うくらい精神的に不安定でした。

でも、勉強に対する意欲だったり、薬剤師になりたいという本気度は相当変わった気がします。

というか、変わる努力をしていたと思います。

この1年は、どうしても無駄にしたくないから。




5.皆さんへ



もう3月になりましたね。
卒業、おめでとうございます。進級、おめでとうございます。

大学進学にかかわらず、新しい道に進んでやり続けることで、必ず何かしらの試練が付きまとってくると思っています。

バイト先の元店長に言われました。

「大丈夫だよ。いくらでも人生やり直しはきくから」

辛くても、将来自分はどうなっていたいのか。よく考えて決断してください。未来の自分は笑っていますか。ここであきらめていいんですか。

まだ夢も叶ってない私に言われてもなんだよって感じですが。

ただ、「経験」は強いです。
くじけて絶望して、泣いて、未来が暗くて仕方なくて。それでも生き延びようとした人は強いんです。
何度でも失敗を経験してください。

あなたの周りにいる、一見完璧そうな人間でも、失敗したことはあると思いますよ。

賛否両論ですが、私は結論、留年の選択をしてよかったと思っています。

美しい未来が、私に舞い降りてきますように。

1年前の私へ。
頑張って生きてるよ。




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