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【第2回 お耽美ナス子】私が夢女子だったころ~彼の美しき暗黒微笑に想いを馳せて~

 こんにちは、お耽美ナス子でございます。今日は私の薔薇色の青春を狂いに狂わせた「夢小説」のお話をいたしますね。私の10代の思い出は夢小説なしでは語りつくせません。蛇足かもしれませんが、夢小説というのは二次元、あるいは手が届かない三次元の方――こちらは「生モノ」と呼ばれていてちょっと特殊なのですが――恋愛をする「二次創作」でございます。多くの場合、ヒロインに自己を投影して小説を読まれる方が多い印象ですね。少なくとも私はそうでした。夢小説の中では私は真選組沖田総悟の右腕で坂田銀時の幼馴染で土方十四郎の彼女みたいな存在になることも出来ちゃうんです。
 不思議なことに、私は「夢小説」という単語を誰に聞いたわけでもないのに、自然にそこに行きついていました。「夢小説」というコンテンツがあるから人々は架空の人々と己の恋愛を夢想するのではなく、すでに人々の心の中に潜在的にそういった「欲望」が存在しているのでしょう。きっと「夢小説」というコンテンツが存在しなくても私はキャラクターたちと自分の恋愛を思い描いていたのではないかと思います。はじめて「夢小説」という一大ジャンルを築いた方は偉大ですね。名前が付くとそのコンテンツは栄えますから、ありがたい話でございます。はじめて夢小説が生まれたのは2000年ごろ、とされていました。日本で一番最初に描かれた夢小説、いつか読んでみたいものです。

Wikipedia「ドリーム小説」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%B0%8F%E8%AA%AC

 

私が夢小説に行きついた経緯

 私が初めて夢小説という素晴らしい世界に触れたのは、私がまだ小学生の時です。はじめは、好きなキャラクターの名前をずっとGoogleやYoutubeで検索していたところから端を発しています。当時の私は銀魂の沖田総悟が大好きで(恥ずかしながら銀魂突っ込み、とやらも少々嗜んでおりました)、それはもう沖田総悟に飢えに飢えていたのです。原作の沖田総悟だけでは飽き足らず、少しでも沖田総悟に触れたくて、ひたすらGoogle検索。好きになった人の名前を意味もなくGoogleで検索したり、姓名判断をしてしまったりする現象と少し似ているかもしれません。そうして見つけたのが「沖田総悟の声真似動画」や「沖田総悟のマトリョシカの替え歌」や「手書きMV」……。あぁ、あの頃の自分を思い出してなんだかすごく嫌な気持ちになってまいりました。それが小学3年生か、4年生くらいのときです。そこから学年があがり、私は「沖田総悟の夢小説」と遂に出会ってしまったのです。「占いツクール」というサイトで私は夢小説を閲覧していたので、もういまでもあの占いツクールの画面が目に浮かびます。
 「小学1年生のときからずっと、読書をしていました。だから国語も得意なんです」とご学友の皆さんの前ではのたまっておりましたが、私は1年くらい夢小説しか読まなかった時期があります。小学校高学年のときは、休日は朝から晩まで狂ったように夢小説を読んでいました。正直、私の国語力が上がったのは夢小説を読んだり書いたりしていたせいも少なからずあると思います。

好きだった夢小説

 私が一番お気に入りだったのはもちろん銀魂の夢小説でした。真選組の隊員になったり、高杉晋助率いる鬼兵隊に連れ去られたり、土方さんと悲恋をしたりしていたのを昨日のことのように思い出せます。「裏夢小説」や「激裏」というR18ジャンルもあったのですが、私が好きだったのはピュアでスイートな恋愛小説か、思わず泣いてしまうような悲しい恋の話でした。吉原で花魁として働いて荒んでいたところを助け出されたこともあります。
 甘々でみんなに好かれる小説を好んでいた一方、「嫌われ」というジャンルも好きでした。登場人物全員から親の仇のように恨まれたり、みんなに嫌われたり、いじめられたりするんです。大好きなキャラクターに嫌われるということに奇妙な悦楽を感じていました。あとは嵐の5人とシェアハウスしていたこともありますし、大野くんと行きつけのバーで偶然遭遇したこともありますが、ちょっとこれ、私は一体何の話をしているのでしょうか?すごく恥ずかしいです。もう10年も前の話になりますが、まだ私の中では消化しきれていなかったみたいです。

ここ最近の夢小説と私

 ここ最近はもう夢小説も読まなくなりました。少し前にご学友にお願いしてツイステの夢小説を執筆していただいたときは久しぶりに胸が高鳴るのを感じましたが、もうあの時のように激しい興奮と深い感動を味わうことあh出来なくなっていました。夢小説にあそこまで心奪われたのは、青春時代の若い感受性があったからこそ、なのでしょうね。なんだか少し寂しい気持ちです。
 先日、興味本位で呪術廻戦の「狗巻棘」の夢小説を読んでみました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、狗巻棘は諸事情でおにぎりの具の名前でしか通常の会話ができないんですね。おにぎりの具しか発せない人間との夢小説をどのように描くのか興味があったのです。
 すると、やはり現代っ子ですね。LINEを多用していました。大事な話はほとんどLINEでしていました。もしくは「しゃけ(全然大丈夫だよ)」のように()の中で発言を説明している様子が散見されました。「しゃけ(好きだよ)」「しゃけ(うるさい////)」とか、しゃけにすべてを背負わせすぎです。


 長々とお恥ずかしい話を失礼しました。皆様もぜひこの機会に夢小説を嗜んでみてくださいね。

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