推し≒教祖 ~宗教の話はしない方がいい~
アイドルの宗教性については近年広く言われるようになってきた(気がする)
それが良いとか悪いとかの話はその辺の専門家っぽい偉そうな人に任せておけばよい。
わたしが今日話すのは別に善し悪しの話じゃない。気にしないうちにいつの間にかいなくなったやつの話だ。
大学生とはいろんなことに誘われる生き物である。
「アンケートに答えてくれませんか」
「一緒にボランティア活動しませんか」
「一緒にスポーツしようよ」
サークルでも部活でも社会貢献でもやりたいことをやって勉強もほどほどにして社会に出ればよい。大学なんてそんなもんだ。
だけどたまーーーにあやしい場面に会うことがある、
それが宗教勧誘だ。
宗教勧誘の主たる目的は他コミュニティからの隔絶であるという話を聞いたことがある。
一人暮らしの大学生という存在は、地元から離れているというだけでコミュニティに取り込みやすく、他からも切り離しやすい存在というわけである。
コミュニティというものは非常に脆いもので、距離が離れただけで成り立たなくなるものがほとんどなのだ。
あいつも最初はボランティアに誘われて活動してたはずだ。しばらくして連絡が来たときにはあやしい雰囲気がただよってたけどな。
さほどわたしは興味を示さなかったからかそのうち疎遠になってしまった。
コミュニティから隔絶された者は、今所属しているコミュニティに頼るしかなくなって徐々に深くまでのめりこんでいくらしい。
深くは語らないが日常生活はとてもつらいものだ。仏教で言われるように人生には 生・老・病・死の ”四苦” があり、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四つを加えていわゆる ”四苦八苦” 、生きていて避けては通れない苦しみが表されている。(wikipediaより)
そんな人生のなかであなたに救済を与えてくれるのが…
ふつうに怪しい雰囲気になってしまった。
こんな感じで寄ってくるわけなんだな。
だが結局はこの通りで、コミュニティから隔絶された者をつくりだして、人生の意味・目的の提供を謳い文句として嵌らせていくのだ。
わたしの友達にはアイドル好きも少なからずいる。
かくいうわたしにだって"推し"のひとりやふたりくらいいるのだ。
中でもアイドルにハマり過ぎてよく遠征して、時には学校を休んでいたあいつは言っていた。
「推しがいるから明日からもバイトが頑張れる。」
「配信で応援してくれたから期末テストにむけて勉強もはかどる。」
日常の一幕に推しが存在することでの人生の意味が見いだされる。
アイドルは他のアーティストと比べて、それとして存在することに価値があるということか…
ふつうに宗教やんけ
と思ったことがあるしなんなら今も思っている。
このように宗教的外観を呈していないものが、実は宗教的な本質を備えているということは多々ある。ホリスティック医療とかニューエイジ思想とかね。
アイドル文化もそれに含まれるといっても過言ではないだろう
宗教とは本質的に不条理なシステムである。
与えた分の等価のものが得られることの方が実際には少ないし、合理的には理解できないことがほとんどのことすらある。
それでもそこに救済が存在することも事実である。
大事なこととして、あなたにとっての推し(=教祖?)が見つかったことで人生の意味を見出せるなら、どんな形でもすばらしいことなのだ。
宗教に惹かれたあいつもアイドルにハマったあいつも人生の意味を見いだせていたのかもしれない。