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無意識の我慢は我慢なの?

「私苦手な人いたら自分から話しかけな〜い」とか「俺苦手だと思ったらスパッて切っちゃうわ」とかそんな風に言う人はよくいる。

「だって苦手な人に割く時間勿体無くない?」「普通に疲れるから無理」そんな風に彼らは言うのだ。

その意見には私も大いに賛成する。苦手だと感じる人にわざわざ話しかける必要はないし、限られた時間を苦手な人と過ごすのは何とアホらしい行為なのだろうか。頭では考えるのはこんなところだ。


ただ実際、私は苦手な人とも仲良くするタイプの人間だ。合わないなあと思いつつも、その相手と仲良く出来るお人好しとも言えるだろう。

もちろん“苦手”なのだから、合わない部分や理解しがたい部分があるということである。キレ症だとか、気分屋だとか、無礼だとか、周りが見えないだとか、人が傷つく事を言うとかそんなところである。


でもそんなキレ症や周りが見えない人ともある程度一緒にいると彼らの扱い方が分かってくる。この人はこうしたら機嫌が良く保たれるとか、この人をこう言う立場に置けば全体が上手くいくとか、苦手な人の他己分析を徹底的にしている、無意識に。そうすると、いつの間にか彼らの苦手なところを操作?抑制?出来る様になる。

もちろん、この操作?抑制?はノーストレスな訳ではない。「まじガキだな」「今日もご機嫌斜めですか^_^」「周り見れないのかな」「一緒にいて恥ずかしいから辞めてぇ^_^」そんな風に思いながら対策を進める。馬鹿みたいな回数、そんな風に思いながら。


でも彼らを避けようとか、スパッと切ろうとかそんな風に考えたことがない。無論、苦手な人との関係を切ってもきっと何のデメリットもないのだが、今の今までこんな風にして生きてきた。ストレスだなあと思いつつも、苦手な人たちを避けずに生きてきた。

「我慢する必要なくな〜い?」「無理して付き合うの嫌じゃねえの?」「そうゆう所尊敬する」

そんな風に言われる。苦手な人と付き合うのはどうやら我慢と無理が必要なようだ。私は無意識の内に我慢して、無理しているのだろうか?


答えはおそらくノーである。

自分はこの“苦手な人とも付き合う”という自分の性質を「我慢」とか「無理している」とか、はたまた「すごいことだ」とか思ったことは一度もない。これが自分の“素”だと思っている。


お人好しで八方美人、愛想笑いにビジネス爆笑、相手の望み通りのルートを作る、こんなことを自然に難なくして相手を笑顔に出来るのは自分の“素”であって、全くと言って我慢には値しない。多分サービス業とか接客業ですこぶる輝くタイプ^_^


そんなこんなで苦手な人とも多くの時間を共にするのだが、やはり気の置けない友人と過ごす時間には到底匹敵しない。というより、この友人たちはきっと私と同じような人が“苦手”で、似たような価値観だから気を置かずに接せられるのだろう。


でもきっと、自分もどこかの誰かにとっては“苦手”な奴である。どこかの誰かにとっては気分屋で、周りが見えない、キレ症かもしれない。でももし私のことを“苦手”だと思っている人がこの記事を読んでいるのなら、スパッと切って欲しいと思う。私のことを“苦手”ということは、きっと私も貴方のことが“苦手”であるから。

 

 

#気の置けない友人ってまじで素晴らしい #細胞レベルで笑いのツボも怒りのツボも一緒やもん #人生観 #苦手な人との向き合い方 #あち子のつぶやき