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太陽と月。

モルディブで見た夕日が綺麗で、いつも思い出す。
写真ではあまり綺麗に写せないけれど、幾重にも重なる自然が織りなす色はとても綺麗で、目が離せない。

昼間に見る太陽はとてもキラキラしていて眩しい。数年前まではあまりにも忙しくて太陽を見る生活をしていなかったし、見ようとさえも思っていなかった。それよりも月を見ている方が落ち着いたし、月の輝きが欲しくてたまらなかった。

なんでだろうか。あの時の自分は太陽の光が強すぎて、見ていられなかった。怖さとワクワクの両方を持っているような。太陽を見ていたら、今の自分が自分じゃなくなってしまうような。

でも今は、月を見るよりも太陽が見たくて、太陽を見ている時が一番落ち着く。太陽の光を見ていると、今はとても安心する。ずーっと見ていたくて目が焼けそうになるからやめるけど(笑)、大丈夫ならずっと見ていたい。なんでだろうか?と思ったら、占星術の勉強を始めてからとてもしっくりきたのだ。

その人を象徴する太陽。太陽の性質やパワーを本人が理解して意識していないとなかなか思い通りに発揮できない。太陽は意識的に使い、今や未来を生きるために必要な力を表しているからだ。

反対に月は今までの自分を映し出す。どちらかと言うと、過去の自分や当たり前に持っているもの、古巣にいる時の安心感や当たり前の感覚、慣れ親しんだもの。いい意味でもそうじゃない意味でも。

月は自分の内面を表したり、無意識な部分を表すとも言われるが、この月の部分を癒すというか、自分で自分を認めて愛してあげるステージを経験しないと、なかなか太陽の部分に意識を向けたり、太陽のキラキラ光る強いパワーを活かして生きていくことは難しいと思う。

私がそうだったからだ。

陰と陽。月と太陽。女と男。
表裏一体でどちらもなくならないし、どちらも自分を表す。でもね、どちらも自分なんだけれど使い方が違うし、ステージが違うと思う。まずは自分を知り、自分を受け入れ、認め、愛するというステージが必要。それが月を意識して生きるということ。人に見せない内面的な自分のうごめいている部分をまずは自分が受け入れて、感じること。これが1番大切なステージ。ここを味わいきれないと、次から次へと人を変え、品を変え、色々な方法で自分と向き合わされる出来事が起きる。クリアするまで永遠と続く。

そのステージを超えて、やっと自分は何であるのか、自分は何のために生まれ、何をする使命があるのかがわかり、その使命を実現するために前を向き、今を生きる覚悟を決めたら太陽と共に生きていけるようになる。

太陽は全惑星の中で唯一の恒星で、唯一自分の力で光り輝くことができる。太陽がいてくれるから、他の惑星は輝くことができる。一番大きくて、一番重要な役割を持つ太陽を無視して生きていては、ワタシライフを生きれるわけがない。

太陽を好きになり、太陽を受け入れて、太陽と共に生きられるようになると、太陽の様々な色や形、仕草や匂いがわかるようになる。今日は熱いくらいに燃えているのねとか、今日は雲に隠れてひっそりと輝きたいのねとか、朝日や夕日のように自分の中にある色々な可能性を様々な色で見せて表現したいのねとか、木々の合間から光の顔をチラチラ見せては、自分の存在をわかって欲しいのねとか。


モルディブで見た太陽はとても綺麗で、大きくて、私を優しく強く抱きしめてくれた。小さな自分という存在でも「ここにいていいよ」と肯定された感覚だった。この時に「ワタシを生きる」という覚悟が腹の底から決まったように思う。やっと「私が私を生きる」ことを認め、覚悟し、自分の足で立ち、歩き始めた日。


あなたは太陽を見た時に、何を感じますか?

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