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巡りあいのきっかけ。


シンフォニーの古本市で100円になっていたミヒャエル・エンデのモモをようやく開いて今更になって読み始めている。そしてすっかり夢中になっている。どうして突然そんなことを思い立ったのかというと、映画館で「君と100回目の恋」を観たからだ。私は根っからのミーハーなのである。では、どうしてこんなに恥ずかしい題名の映画を観たのかというと、おじさん二人のカモフラージュ役に抜擢されたからだ。そう、青春溢れる高校生達からの白くて残酷な視線を浴びながら、両手におじさんを抱えて映画を観るという罰ゲームのような時間を余儀なくされたのである。

こういう時、おじさんという人種は少し厄介だ。目の前に立ちはだかる困難や風がわりな出来事に我を忘れて一番に楽しむ節がある。彼らは若い頃の冒険心を失っていない。いつでも心は少年でいたいのだ。よりによって私は、1回目の待ち合わせで上映時間を間違えるという取り返しのつかない過ちを犯してしまったため、おじさん達のドキドキを先延ばしにしてしまい、妙なテンション向上を助長してしまった。その致命的なミスの結果、あろうことかレイトショーでmiwaと坂口健太郎の青春ロマンを傍観することになってしまう。そもそも、正直なところ私ではカモフラージュになっていない。私の野暮ったい風貌は、若い女の子たちが集まる場所で圧倒的に浮いてしまうのだ。以前、妹に付き合ってaikoのライブに行った時、あまりにジロジロ見られるので堪りかねた妹が「お姉ちゃんと歩くの嫌だ。」と、自分から誘っておいて不機嫌になった。人には暗黙のテリトリーというものがある。それなのにおじさんときたら、“女の子”という言葉で幅広い女性を包括してしまうからわかっていない。とはいえ、消しゴムみたいな頭をしたおじさんと、わくわくがノンストップのキリギリスおじさんが並んで映画を観ながら、眠気でうっかりお互いの肩にもたれかかってしまう事態が起きるよりは、確かにだいぶマシだった。この映画のロケは岡山でおこなわれていたようで、そのシーンを確かめるべくどうしても観たいのだと言う。私もタダで観れるなら、こんな機会でもない限り観ることもないだろう。そんなわけで私はおじさん二人と一緒に映画を観ることになった。

映画館では一番後ろの少しだけいい席に三人で並んだ。もちろん私が真ん中だった。始まって早々、いやな予感は的中する。少女漫画耐性のないおじさんが至るところで「ぷぷぷっ」と吹き出して笑いをこらえるのだ。ベタな展開に全くついていくことができていない。私は、下の座席で観ている高校生達から舌打ちが聞こえてきそうで気が気でなかった。時々、おじさん同士が相手の様子を伺おうと座席から乗り出している。どうやらこの人達はじっとできない性分らしい。次の上映からおじさんのR指定をされるんじゃないかと心配になってしまう。そんな二人の様子をちらちら眺めていた私だったけど、知っている場所が映るとつい「あっ!」と声が出てしまい、はたから見れば二人と変わらなかった。初めはどうなることかと思ったけれど、不思議なことに映画も終盤に差しかかると誰もしゃべらなくなって、それぞれがそれぞれの体勢で物語に夢中になっていた。

映画が終わると、二人のテンションはすさまじかった。あんなバカにしてたくせに、miwaちゃん、miwaちゃんカワイイと盛り上がっている。喫煙室に入ってすっかり話し込んでしまい、出てくる気配がないので覗いてみると「きりが泣いとる!どこで泣いたん!」と嬉しそうに茶化してきた。彼らの様子に私のテンションは通常モードに戻った、というか若干引いた。ヒロインの威力は偉大だ、二人のおじさんをすっかり少年に変えてしまった。駐車場に向かう時、坂口健太郎が表紙のホットペッパーを見つけて「きりちゃん!リクがおる!持って帰らんと!」と興奮気味に伝えてくる。私は笑いながら一応持って帰る素振りを見せた。「今日の出来事はこの三人の語り草になるなあ。」と言うので、きっとおじさん達の席で武勇伝としてしばらく語られるのだろう。だから私も二人の恥ずかしいところを忘れずに記しておこうと思った。

そういうわけで、冒頭に戻るが私は今モモを読んでいる。なにはともあれ、おじさん二人のヘンテコなお導きがなければ、私のモモは今でも押し入れで眠ったままだったから不思議な話だ。

2017年02月20日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。