敵わない。
なんていうか、実家の新米が美味しかったのだ。お米ってそれぞれ味が全然違うから、久しぶりに美咲の水を飲んだって感じだった。近頃の私はようやく美咲町から足を洗い、正々堂々と岡山の地を踏んでいる。(要するに住民票を移した。)というのも、住民税、選挙、アンケート、年金、うんたかんたら、あらゆるものが実家に届き、その度に母の携帯からおぼつかないメッセージが届くのが疎ましくて仕方なかったから。とはいえ、そんな事態を引き起こしているのは怠惰でずさんな私であることは間違いなく、アラサーにもなってさすがに情けなくなってきたのでようやく重たい腰を上げた次第。そういうわけで、普段はうっとおしくてたまらない両親なのだけど、それでもふいに送ってきた新米が美味しいと、はあ、この人たちには敵わないなあって思うのだ。
敵わないって感情は諦めに似ていて、だけど希望にも似ているような気がしている。すっと受け入れたら楽になるようなものに、私はいつも抗ってしまいがちだ。だけど、いくら牙をむいてみたって、敵わないものには勝てっこない。そうそう、恋をしている時の「敵わない」も確かこんな感じ。
そういうのは大体にして、自分のことを一番に思いやりたいような時にやってくる。自分の悲しみすら晴れない時に限って寄り添う技量を必要とする。それじゃあ、その時の私は一体何を頼りに生きたらいいのですか。自分が強くならないと、どこにいても見捨てられたような気持ちになって、それでも側にいたいと思う私は、孤独のリズムに委ねて体を揺らすしかない。そんな夜は決まって、真っ白な霧で赤信号がにじんでいたり、繁華街のネオンが私のことを締め出したりするから、絶望のような悲しみを味わう。あーあ、敵わないよう。ばかばか。だけどさ、そのうちなんだか逆に腹が据わって、孤独を上手に踊りきれちゃうんだから、自分ってやつはとても心強い。
そしたらね、外で吐くため息が白く変わって、ちょっとキレイで嬉しかったりするから、自転車にたまったしずくを素手で払いのけて、残った水滴はズボンに吸わせて、私は鼻歌しながら残りの夜を眠りで過ごそうとうちへ帰る。色んな感情が希望にかわって、さらには自分の使命にまで発展するんだから、ほらね、好きになってしまったら、ほんと勝てっこないんだよな。あーあ、アンタには敵いませんわ。わ、関西弁にしたら、途端に厄介者のニュアンスまで!「敵わない」ってほんとどこまでいっても敵わないなんだよな。だけど、それがなんか嬉しくてニヤニヤしたりするんだよね。
2017年12月02日
「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。