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甘い季節。

好きな言葉はスイート、ロマンス、夢のブレンド。2月は恋の季節だ。おかげで私の大好きな言葉があっちこっちで飛び交っていた。だけど油断は禁物で、甘美な言葉は私のことを惹きつけて、そりゃないぜって落とし穴へ誘い込む。この世界は苦いを上手に使って、甘い気持ちを引き立たせるのが好きだから、私にドSだ。甘いと苦いはセット、それが世の常らしい。「ああ、私の記憶は衰えた。それほどロマンスは古い。」は夢二のつぶやき。友達に貸していた「Before Sunrise」だって、とっておきの甘さの後に襲ってくるのは8年間の耐えがたき苦味。ああ、思い出しただけで身体が爆発しそうになる。

甘くて苦いで思い出すのは珈琲だ。やっぱりたくさんの人が恋を珈琲になぞらえている。「甘いのがいいです。」ってお願いしているドリッパーズの珈琲はまさしくそれ。屋台に用意された豆を使っていつも絶妙なブレンドで、ぽつぽつぽつ、と抽出される茶色いしずくは不思議と甘くて苦い。その珈琲を片手に街を歩くのが私は大好きなのだ。この間、コーヒー亭で買った豆の名前は夢のブレンドだったけど、言うならばドリッパーズのは恋のブレンドだと思う。この世界の甘いと苦いがうまく混じり合っていて、週末だけしか味わえないその珈琲は、やっぱりどうも恋と少し似ているなあなんて思うのだ。

それにしても、どうして世の中こうも苦いのか。甘いロマンスなんて、小説と空想とドリッパーズの珈琲くらいで、現実にはほとんど落ちちゃいない。君はこんな苦味すら耐えることができないのかな、と毎日試されているようだ。別にそんなことはない、私はさんまの内臓だって大好きだ。だけど本当は甘くて苦いのよりも、甘いだけがいい。毎日に人生分の甘いを詰め込んで、そうして残った毎日が苦いのばっかになったとしても、甘い毎日を贅沢に味わってみたい。だけど、甘いものばっかり食べていたら、私の丸顔が手に負えないくらいのまん丸になって困ってしまうことだって、ちゃんとわかってる。だから苦いは必要なのだ。煎じた苦い薬も鼻をつまんでまぶたをぎゅーっとして、時々は飲みこまないといけない。ため息をつきながら鍵を開けて、クリーム色の扉に持たれかかって玄関になだれこむ夜にも慣れなきゃいけない。これが大人の醍醐味なのだ。そうでもなければ、恋に落ちる、なんて言葉は生まれてこなかったに違いない。

やっぱり甘いと苦いは絶妙バランスだ。苦いが強いほど甘いを感じられるなんて、意地悪な世界だなあ。

2017年02月27日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。