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ピンヒールの理由。

私が高校生の頃、両親が人生の楽園に出演した。大阪から移住して、ラピュタみたいな山の中で暮らし始めて数年経った頃。その放送を見た母の友人が、ふと一本を電話をかけてきたらしい。「どうしたん?白魚みたいな手ェやったのに。苦労してるんやなあ。」って。今でも母は、ことあるごとにその話をしてくる。

先月、私は誕生日を迎えた。そんな日の前夜、仕事終わりまで待ってくれた友人と飲みに出かける。ほんと、ほんっと何気ない会話の中で、友人が「おばあちゃんみたいな手になって、頑張っとるんやね。」って私の荒れた指先をみて涙ぐんだ。その涙に触発されて、私は人目もはばからずに声をあげて泣いた。何が悲しいのかわからないけど、もやあとしたものを吐き出すみたいに泣いた。そうなの、手荒れが痒くて夜も眠れなかったんだよう、って、いつだって未熟でどうしようもなくて情けなくって、そんなのはずっと自覚してるけど、それでも痒かったんだようって彼女の前で、突然ゆるんじゃって、ずっと。その涙はいつもの悔しいのとかそういうんじゃなくて、間違いなく安堵の涙だった。だってこんなに心地よく泣いたのは久しぶり。

それで、ふと母親の話を思い出した。あ、そっか、あの時嬉しかったんだね、指先をみただけで色んな苦労を察してくれた友人のことが。歳を重ねて、友人とも離れて、ボロボロになった母にとって、一番身近な女友達は私だったんだろうなあ。

自分の誕生日を心待ちにするような時代も過ぎて、ひとつの通過点くらいにしか思わないようになった。だけど、やっぱりリスタートにはちょうど良くて、また健やかな自分を目標に抱えて過ごしている。だましだましのような気がするけれど、それでもそうやって私は歳を重ね続けている。(そして小さく祝ってくれた人たちに、やっぱり私は嬉しい気持ちにさせられた。)

というわけでめでたく29歳になってしまった私は、ヒールのある靴を買った。それはかっこいいピンヒールなんてものからは程遠いけど、まあまあ私にひゅんと馴染むようなカジュアルなシューズ。20代の前半、自分のスカートから伸びる足が突然なまめかしく感じて気持ち悪くなってからは、女の人がピンヒールを履くのを理解できなかった。だから、ちいさんに聞いた。そしたら「カッコつけるため。」だって。なるほど、ってわけで単純な私はヒールを履こうと、29歳になってすぐに思ったわけ。笑えなくても笑顔でいたい。20代も最後になるとそろそろちゃんとカッコつけたい。それでまた、泣かない決心がついた。

そして、たまには歳の離れた女友達にも電話してみようかな。おせっかいすぎるからあれだけど。最近の調子くらいは聞いてみようか。


2017年11月08日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。