私自身生放送。
自慢じゃないけど私のLINE返信率の低さはなかなかのもんで。だけど、今ぶりがついて溜まったLINEをどんどん返信している。女友達とのLINEは書くことを怠っている自分からすらすらと言葉を引っ張りだしてくるからびっくりする。毎日何かをしながら、自分の中でのひらめきや発見、「これかー!」って言葉が、本当に日々生み出されているんだけれど、次の動作をした瞬間に私の頭からすっ飛んでいく。ほんと、私ってどうしてこんなにも忘れやすい人間なのか。
そうそう、あのね。あの夏の日、charaのアルバムが買えなかったんだよ。岡山で。マチナカ唯一のHMVで。
それはそれは衝撃的な出来事だったの。あんなに巨大なハコモノに私の欲しいものはない。タワレコはなくなっちゃって、そしたら私の知ってるCD屋は流しの岡本さんしかいない。流しっていうのは、私の知らない海外のレーベルばっかり売っていて、未知な感じも楽しいんだけどさ、要するに極端すぎない?うらじゃ祭りの時も、自分は世界の裏側にいるような気分で過ごした。私はそういうものとも上手に仲良くやっていきたいんだよ。それが地方で楽しく過ごす秘訣だと思う。だって、落ち込んだ23歳は町の小さなブックオフに救われた。
だけど、向こうは私を必要としていない。この世の中だって、うらじゃで楽しく回る世の中なのだった。そりゃね、ヒバリのことなんて誰も必要としてないんじゃないかって思うよね。西脇さんが描いた絵を写真に撮って送ってきてくれる君が好きだな。岡山で活動の需要がないと言える君が好き。私がもっと、とっておきの変態だったら問題ないけど、私は所詮しがない農家の娘でしかない。腕力と忍耐でしのぐしかないただの体力バカだから。
それでも、私が続ける理由ってどうやって作ろうか、って私が日々のルーティンだけの私からの脱却にはどうやれば、ってもんもんしながら秋を迎えましたが、同じ時代を生きてきた女の子たちが繋がっていく瞬間が楽しいなあって思うこの頃です。少しの言葉の質感で心の奥底にぐっと寄り添い合える存在は心強くて、きっとみんなも思ってないかな。わからないけど。自分が悪い時にしか泣けない、今年に入って超泣き虫な私はそういう横のつながりに安堵している。
通りすがった人生の大先輩に「女友達はきえる」って言われたけど、パートナーを見つける時間を作るように促されたけど、私はそれでいいと思うんだ。自分のステージごとに支えてくれる女友達ってやつは、たとえ消えてしまったとしても、やっぱりとてもありがたい。同じ心のヒリヒリを感じただけで、ちゃんと明日も頑張ろうって思う。
書かなくても書けなくても毎日過ぎていくけれど、私はだれかのためとかじゃなくて、楽しいことを書こうとかやめて、自分のために書き続けようと思った。週刊私自身だもんね。そういうことだよね。
2017年10月06日
「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。