あわいの春。
暗い夜道で香りが揺れた。私が絶対に買わないような色した花が部屋のあちこちに明かりを散らして、少しの間、不思議な気分。花びらを授かりすぎたラナンキュラスが、重たそうな顔をしてこちらを見ている。「出会いと別れ」フレーズが1年で一番流出するシーズンに、私にも小さな出会いと別れがありました。
別れを実感する時、誰かの涙を見て私はズルいから、必要とされていたことに安堵する。そしてまた、そんなセンチメンタルな気持ちも、桜の花びらとともに散ってしまう淡々とした世の常にもほっとする。どんな場所に身を置いたって、時間は平等に流れて、新緑が芽吹く頃には、新たな出会いに誰もが心を躍らせている。
始まりは終わりのカウントダウンだって、恋をした時の私はいつも思うけど、終わりも然り、始まりなのである。
わずかな人生の中で、いくつかの別れを選んできたけど、そのたび私は何を求めてきたのかな、いつの間にかすぐに忘れちゃうんだけど、だけど別れってそういう時に訪れるから、きっと何かを追いかけてきたはず。
そして、また始まりに立って、こうやって句読点を打ちながら、明日から先は…。多分、求めているはずの何かを探す。
桜のつぼみの下で花見を楽しむ人たちを横目に、ひとりで散歩しながら「さくら餅」の張り紙を見つけてうっかり足を止めてしまった私は、春のかけらを水平にして持ち帰った。スキップしながら、花見客にも負けないテンションで春を楽しむ。
色々なものが交わるような、融合するような、それでいて暖かいから、単純な私は春がスタートラインになりやすい。
2017年04月03日
「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。