命の重さ

道沿いのガードレールに添えられた多くの花々。手を合わせ祈る人々。きっと、ここで亡くなった人たちのことを思っている。

「悲惨だったね」「かわいそうだね」。死者へ向けられる数々の言葉。なぜ。疑問に思う。命に優劣はあるのだろうか。命の重さは誰が決めている?

今、この瞬間も死にゆく者はいる。誰が彼らに思いを馳せるだろう。誰が彼らに同情するだろう。手を合わせ、祈るだろう?

この世に生まれた時には、みな命は平等であるにもかかわらず、その命が終わる時には、他人によって優劣がつけられている。

首をつったあの子のこと。マンションから飛び降りたあの子のこと。車にひかれたあの子のこと。海でおぼれたあの子のこと。火事で逃げられなかったあの子のこと。誰が知ってる? 覚えている?

命の重さは年齢で決まるの? 事件の悲惨さで決まるの? 

人々が手を合わせているその瞬間。目の前で死んだ人たち以外にも、名も知らぬ多くの命が失われている。それを知っている? あるいは、知らないことを自覚している?

いったい誰がこの世の中で、平等である人間の命の重さを決め、死んだあとに多くの人から祈られ、思われる人間を選び出しているのだろう。いったい誰が。この世は平等であるはずなのに。平等さはどこに? 人々の記憶はどこへ? 思いは誰へ?


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