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3月31日(火)泣き泣きの一日

私は大塚愛のファンでもなんでもないが、「泣き泣きの一日」という言い回しにはこれまた一本取られたと膝を打たずにはいられない面白さを感じる。大泣きするにしても普通は一度ダイナミックに泣いてしまえば気持ちも落ち着いててしまうもので、にも関わらずその後しばらく間を置いたのちに再びダイナミックに泣いたりするとなると、「これがいわゆる大塚愛の言わんとするところの泣き泣きの一日か…」と、泣きながらもどこか冷静な視点で分析せずにはいられない。大泣きというのはそういう第二の視点みたいなものを生むもので、泣きグセがついて止まらなくなっている自分を俯瞰する冷ややかな目線の自分がふよふよと霊のように漂う。傍らには大塚愛の呑気な笑顔が浮かんできて、悲しいやら肩の力が抜けるやら、愛し合うあなたと私さくらんぼである。


理由はさておき、私が泣くとハハも泣く。哀れに弱りきった私の姿を見てハハはついぞ涙を堪えきれなくなり、すると彼女のすすり泣きを聞いた私は突然ふっと冷静に戻るのだが、その声が長引くと可哀想なハハの姿にもらい泣きしてまた泣き出してしまう。ヘタクソなもらい泣きのラリーを続けているうちにそもそも何が悲しいのやらなんで泣いているのやらこの状況はなんなのやら、何が本当で何が嘘なのか、私たちは生きているのか死んでいるのか、この世界は本当に存在しているのか、何もわからなくなって二人でしくしく泣いていると、世のすべての陰鬱が私たちがあまりにも長く居続けているたった九畳の和室に集ったようで、やっぱりETV特集みたいな毎日だと思う。


思い通りにならないことばかりだが、一通り二通りと順番に泣いているうちに勝手に時間は過ぎていく。誰の前にも時間は平等で、終わらない一日などなく、待たずしても明日は訪れるし、どんなにすがっても今日は終わる。明日がもっと良い一日であることを祈り、痛みのない健やかな眠りを願い、ただ憧れるだけの空や大地はやはりどこまでも遠いままで、I dreamed a dream in times gone by... と、レ・ミゼラブルの例の歌を歌わずにはいられないのであった。


泣き泣きといえば、居酒屋チェーンの『笑笑』は絶妙な名付け力を誇る名店である。「(笑)」までいくと看板に嘲笑されているようで町衆も気を悪くしかねないが、「笑」が二つ並ぶ分には悪い印象はなく、わざわざ飲みに行くからには笑いたいのが人のサガというものであり、「笑笑行っとく?笑」と冗談まがいの誘いのメッセージを送られて嫌な気がする人などいないのである。思わず口にしたくなるネーミング、これこそが集客力の最大の要因だと思われる。ちなみにまだ笑笑に行ったことはない。


このように、悲しみも喜びもどのように捉えてどこまで面白くできるか、そしてそれをどう表現するかこそが私の生活における工夫である。子どもの頃からずっと読み続けてきた『魔法陣グルグル』という漫画で、地味さこそが個性という特殊な個性を割り当てられた登場人物、魔導師のトマが「くふうをばかにするなー!」と言っていたのが十五年経った今も忘れられない。きっと一生忘れられないだろう。運良くこのまま歳を取っていけば、もうろくになって何もわからなくなった頃に「くふうをばかにしてはいけないよ」とまるで自作の名言かのように魔法陣グルグルの名言を使い回す老婆になる、そんな人生がもう十五年も前から設計されていたのである。なんと楽しいことか。我が人生よ、くふうをばかにしてはいけないよ。



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