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すべての不幸を笑いに変える|さんまさんが教えてくれたこと。

さんまさんが好きだ。「さんまさん」というのは魚類に敬意を表しての呼び方ではなく、もちろん明石家さんまさんをここでは意味する。私はさんまさんのお笑いスタイルを大変尊敬しており、その愛に満ちた生き様を敬して「大天使アカシヤ」などと呼び、崇め奉っている。さんまさんはこの世に遣わされた愛の使者なのだ。少なくとも私にとっては。

大天使アカシヤはいつも私に安定した笑いを届けてくれる。この「安定」というのが非常に重要で、お笑い番組はいろいろ見るが、毎回の放送で必ず一度は笑わせてくれるのは、さんまさんホストの番組だけだ。

お笑い番組を見る上で視聴者が求めているものは「笑い」である。よって、楽しみにして見たお笑い番組がたいして面白くなかった場合、ましてやスベっていた場合の気分は筆舌に尽くしがたい。「さあ笑うぞ」と思っていたのに笑えない。これは、「今日は蕎麦を食べるぞ」と決めていたのに、近所の蕎麦屋が軒並み閉まっていた状態とよく似ている。こっちは蕎麦の口になっとんねん。今更オムライスなんて食べられへんて。期待値でブースターが掛かっていると、その分、期待を裏切られた時の落差は一層大きなものになる。

私はニ年前までテレビを舐め腐っていた側の人間で、子供の頃は単純に見る時間がなく、成人してからはなぜかテレビを毛嫌いしていた。ところが二年前の発病をきっかけに、家でも楽しめることを探求する羽目になり、そうして出会ったのがテレビだった。予想だにしていなかったが、テレビは面白かった。

私は子供の頃からずっと笑いに貪欲で、「面白くなりたい」という、願いにも似た衝動に突き動かされて生きてきた。人見知りな上に心に鉄壁の壁を持つ私は、気心の知れた友人にのみ冗談を言い続けることで笑いのフィールドワークを行ってきた。ところが、限られた場所においてのみ冗談を披露するとなると、笑いの生産量に対して、供給先の数が追いつかない。私は全身に冗談の血を漲らせながらも、普通の女を装っていた。成功していたかどうかは疑問だが、カモフラージュはなかなかに苦しかった。もっと笑いの話がしたい。もっと笑いのキャッチボールがしたい。掛け合いたい。重ね合いたい。「笑いに対して貪欲」という姿勢は一般社会ではマイノリティだった。

おまけに、女性として生きるのには特に、面白いことは言わない方が異性の反応が良いらしかった(インターネット調べ)。男性は女に笑わされるとプライドが傷つくらしい。なぜだ。なぜ世の中は面白い女を疎ましがるのだ。愛してくれ。面白くない女も面白い女も均等に愛してくれよ。私は二十代後半になり、内に眠る面白さのせいで、女性としての存在価値を危ぶまれるようになった。もう面白さは捨てるしかないのか。冗談を我慢しながら生きていくしかないのだろうか。ああ、笑いを愛する人に会いたい!

そんな折に、私はテレビに出会った。もしかしてこれは運命だったのかもしれない。テレビの中は、答え合わせのような、無料の授業のような世界だった。人々がただ、面白くなるために、ただ面白くあるために、競い合い、励まし合い、戦う世界。私が求めていたものはこれだった。こんな近くにあっただなんて。灯台下暗しとはよく言うが、まさか実家のリビングに答えがあったとは。近い。海無し県に住んでいるため元から灯台との心理的距離は遠かったが、わざわざ海まで行くほどの距離でもない。それからしばらくして、私は自分の部屋にもテレビを置いた。ボタンひとつで笑いの世界へダイブイン。自分が「面白いもの好き」だとは思っていたが、「お笑い好き」だとは思ってもみなかった。

振り返ってみれば、小学生の頃に吉本新喜劇にハマり、土曜日の半ドン授業の後は、いつも新喜劇を見て過ごしていた。特に茂じいが出る回を愛好していたが、そのうち、「これいつも同じじゃない?」と思うようになり、飽きて見なくなってしまった。もちろん、新喜劇の良さは「いつも同じ」ところにあるのだと今ならわかる。だけど私は子供だった。新喜劇卒業後は漫才に一瞬ハマるも、またしても「これいつも同じじゃない?(同期間に同じ芸人さんの同じネタを何度も見たため)」と思い、飽きて見るのをやめてしまった。そのうち習い事が忙しくなってテレビ自体を見なくなり、私はお笑いから足を洗った。むしろ自分が「お笑い」を見ていたという自覚もなく、時は経ち、ただの面白いもの好きマイノリティとして、笑わせのフィールドワークで空振りする日々が始まったのだ。

笑いに熱くなりすぎて話が逸れてしまった。私の面白くなりたい欲が如実に表れていると思う。本題はさんまさんにあるので話題を戻そう。

テレビに出会い、お笑い好きとして花開いた私は、それから怒涛の勢いでお笑い番組を見た。笑いを学びたいあまり、最初のうちは録画した番組を倍速で見ていたほどだ(全く意味がない努力である)。番組表を縦から横から舐めるように読み漁り、二十年分のテレビの知識をニ年間で吸収した。現在は自分の趣向もよく分かってきて、そうして辿り着いたのが「大天使アカシヤ論」なのだ。

どんなに好きな芸人さんの番組でも、面白くないことがたまにある。声を上げて爆笑したのに、翌週には全然笑えないことが大いにあるのだ。好きな芸人さんがスベっていると、切なくて申し訳なくて、胸がちぎれるような思いがする。そんな中で唯一、毎回必ず笑わせてくれるのがさんまさんだ。「踊る!さんま御殿」「ほんまでっかTV」「さんまのお笑い向上委員会」「明石家電視台」、これらの番組は必ず録画している。いつ見ても絶対に面白く、必ず一度は笑ってしまう。何もハラハラすることもなく、ホッとして笑いに浸れる。さんま兄やんにはどうしてこんなことができるのだろう。私はさんまさんのことがもっと知りたくなった。

さんまさんについてインターネットで検索すると、こんなエピソードが出てくる。とても辛い話だ。

"さんまさんが27歳の頃。実家が全焼し、大好きな異母弟が焼死してしまった。週刊誌には『焼身自殺だった!?』などと書かれ、心に傷を負ったさんまさんは、それからというもの、テレビで笑いが取れなくなってしまう。すでに冠番組を持つほど成功していたが、もう芸人をやめてしまおうかと苦悩した。そんな時、彼を再起させてくれたのが、同期にしてライバルのオール巨人さんだった。共演した舞台上で「お前んち、兄弟焼いたらしいな」とあえて触れ、さんまさんは「そや、材木切れたから代わりに焼いたんや!」と見事に切り返した。会場は大いに盛り上がり、辛い出来ごとを笑いに変えた。その後、さんまさんは「お笑いを止めずに済んだ」と、涙を流して巨人さんに感謝したそうだ。"

とても辛い出来ごとが起きていた以上、このエピソードを感動物語みたいにはしたくないけど、いろんなことを教えてくれる。さんまさんのお笑いは、単なるお喋りではない。たくさんの辛いことがあって、色々な苦難を乗り越えて、それでも「人を笑わせよう」という道を選んだ人にしかできないお笑いだ。そこには確固たる意志があって、だからこそ必ず一回は笑わせてくれるし、その生き方は愛に満ちている。やっぱりさんまさんは愛の使者だ。

さんまさんのインタビュー番組で、こんな話を聞いた。

「俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や」

その他にも、さんまさんの名言には枚挙に暇がない。

「暗い人がちょっとでも笑うように、なるべく俺が出てる限り明るい画面を、お届けしたいという、そういうポリシーで生きてるから」

「バラエティに感動の涙は要らんねん。芸人は笑わせて涙流させな」

ああ、かっこいい。なんてかっこいいんだろう。書きながら涙が出てきた。しかし、感動の涙はさんまさんのポリシーに反するので、ここでは感動しないでおこう。

辛いことすら笑いに変え、笑いで人を笑わせる。私もこんな人になりたい。

だから決めた。私も、私が面白いと信じることを表現して、辛いことも笑いに変えて、人を笑わせて生きていく。誰になんと言われようが、面白さを諦めないし、スベったって構わない。さんまさんみたいに芸人の道は選べないけど、私にとって、フィールドワーク以外で笑いを追求できる舞台は「文章」だ。正直、怖い気持ちもある。笑いのセンスは人によって違うから、私がどんなに心を砕いて言葉を選び、冗談を書いたとしたって、分かってくれない人や怒ってしまう人は絶対いる。文章でユーモアを追求すると、言葉遣いが荒くなったり、愛想が無くなったりしてしまいがちだ。テレビみたいに表情が見えない分、これを理解してもらえない人がいることは、本当に怖い。

子どもの頃から面白いエッセイを書くのが好きで、小学校の卒業文集では、さくらももこ先生に多大なる影響を受けた文章を書き上げた。さくら先生がいなくなって、私は毎日そのことばかり考えている。あらゆる日常におかしみを感じていきたい。それを牽引する人でありたい。だから諦めずに挑戦していこうと思う。病気だろうが、30歳にもなって74歳の父にお風呂に入れてもらっていようが、お構いなしだ。すべての不幸を笑いに変えよう。これが私がnoteで冗談を書き続ける理由である。

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞