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虐待サバイバー必見

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虐待された人にとって、虐待した本人からその理由を聞けることはまずない


感情的に叫んだこととかでなく、その人の本心からその理由を聞くと、全てに納得がいって人生が遠くまで見渡せるような納得感がある


昨年の6月に、母親の相談を電話で受けていた
わたしの母親は金銭的にだらしなく、生活を自分の生活費の中で一生涯賄えなかった女だ



なので、自分の住まいを隠し電話番号だけを教えていて
困ったら都度最低限生活できるほどのお金を振り込みしていた


住所などを知らせてしまうと借金の連帯保証人に勝手にしてしまう事が数度あり、都立高校の奨学金も入学前に使い切られ
その時には家を出ていたので、一人で生きていく上で受験して合格していても高校には入学しておらず、働いていた


大人になって奨学金の返還の通知がきて、あーしてやられましたみたいな事が何十回も繰り返し起こる母親の問題だった


高校は家を出て通信で高校卒業認定を取得して看護大学を受験している


難病の症状が出たのはその頃


卒業と同時に確定診断


こっちは結構大変ですよ、という感じなのだけど
母親が腰椎を骨折して、介護保険をどう使えるのか年齢の制限や介護度など、医療保険と介護の制度の切り分けが難しく
難病に確定前に、いくつ資格があっても良いと取っておいたケアマネジャーの資格を当てにして電話で相談してきた


そのあたりでもう看護や介護の経験から、自分の母親を患者と接するように客観的な視点で見るようになり、母親の名前で「ゆきみさん」と呼んで接していた


お金にゆるいこともあるし、ゆきみさんの子供はみな彼女を見限って離れている


腰椎を骨折したからといって見舞いにくるような家族はいない


そういう患者のケースと考えて外から彼女を眺めていた


頼りになるケアマジャーとして、彼女がわたしを捉えるのに時間はかからなかった
一切過去のことは口にしなかった


わたしを他人のケアマジャーとして信頼を得てきた頃
さりげなく聞いてみたのだ


わたしの家族にはレイパーがおった
わたしは家族の中の男性に性的な搾取を受けていた


それを幼い時から訴えても、「そんなわけはない」と却下されてきたのだ


その男性に一度、いよいよ幼稚園生としてもわかる性行為を強要されそうになった時に、死ぬか??と思うほど殴られ恐怖のあまり逃げ出した


母親が寝ている寝室へ絶叫して逃げて行き、必死に訴えたその時に「家族がそんなことするわけないでしょう」というので終結してしまったのだ


小中学生の時の教諭の件も、そのような事で終わってしまった


そのようなベースの中で生きているので
その件から性的な搾取はなくなったものの
何かとその男性の、女性を蔑視する考え方を強いられ、メンタルを削りながら中2まで暮らしていた


当時、自分の家の中のことしか知らないし
家族というのは幼児にいたずらするものなんだろうな?と思っていた


だけど年頃になると同級生らは、家にいる男性を嫌がる自由があるのだと知る!!


わたしは汚れているのだと自分を責めたものだった
それでも、世の中で聞く虐待というのは毎日血を見て生きるか生きないかという瀬戸際の事が虐待なのだと思っていたのだ


そのような事情が顔に出るのか
わたしは10人に一人ぐらいいる普通の容姿を持っていると自己判断しているけど
特別に可愛いきれいだというわけでないのに、前編のブログに書いたように、いつも大人の男性から性的搾取を受けそうになる、受けた事が多かった


中2の時に、母親がインフルエンザになり畳の上に盛大に吐いたようだった
家に帰ったら家族の中の男性が玄関のドアを開けた途端に殴ってきて


「お前がいないから俺がゲロの後始末をしたんだ」と殴る蹴るで上か下かもわからないほど殴られ


わたしは用事を言いつけられて慣れない街に品物を取りに行っていて迷い少し帰宅が遅れたのだけど


同じ人間に、「死ぬか?」というほど殴られ、小さい頃の怖さが蘇って何かが壊れてしまいそうな怖さを全身で震えがくるほど感じて


その足でそのまま逃走して、一回も帰らずに今に至る


虐待された人が、自分の中に残された何かに突き動かされて
こういう時に家を出れるか出れないかでその後の一生を左右する事があるからブログに書いとこうと思った


後から、母親がいつもその問題に触れてこない
自分に助ける人はいなかったのか
なぜ小学一年生から自分だけが、女性の子供だけが一家のパンツと靴下を洗う係だったのか
なぜあんなに男性上位の家庭だったのか不思議になって
理想の母親と、自分の母親のあまりの違いに
愛されていなかった?なぜ?
など疑問が浮かんできた


あの家にいる時はいつも気を張って
性的搾取を受けないよう、学校に毎日行けるようにしてるだけでいっぱいいっぱいだったからだ


まあお決まりだとは思うけど
その答えをいつも欲しがっていて
でも自分は自分で幸せになりたいと、いろんな事をしてて
母親というものを求めなくなってきた頃にきたチャンスだった


母親は一人目の父親と離婚してからは、わたしを祖母に預けて、続けて長く一緒に暮らした事がなかったけど
引き取られている間はいつもシンデレラみたいに働かされ
正直、母親は当てにならんと思っていたこともある


家を出ていたけど、電話番号だけ知らせて
一度も母親の家を訪ねた事はなかった
そんな時に、わたしの温かい唯一の時間
祖母に育てられた単純な小学生の呑気な毎日
その祖母が亡くなっていた事を知らされず
2年経ってから話題に出たのだ


母親や、家族の中の男性が
祖母の見舞いに行った事からわたしの居場所を突き止めるのではないかと思って、怖くて老人ホームに顔を出せなかった2年間の間に亡くなっていた


祖母がいないのなら、母親にはなんの興味もなかった
ただ一つの疑問を残して
自分の中で母親とはゆきみさんという患者というのが固定していた
なんの希望も意見もないし、反対に恨みもなかった


その中で、母親の相談を受けていて
そういえば、わたしは家族に性的搾取されていたよね
泣いて助けを求めたけど、あれは今考えてどう思う?
その後暮らしの中で、わたしに性的搾取しようという雰囲気感じなかった?


「そういう事してるんじゃないかと知ってたけどそれを本人に言ったら傷つくと思って言えなかったよ」


わたしが?


「いや、その男性がさ」


いやわたしの方が可哀想なんですけど笑


「まあ許してやってやー」


そかそかわかったよ笑


こんな感じだったと思う


自分を助けなかった母親が
なんで見過ごしたのか理由を、言質を取ったのだ


こういう事を聞きたくても聞けないで終わる虐待サバイバーは多いと思うよ


その話を聞いて、とても納得がいって
あーやっぱり知ってたかと
その理由も、母親の幼少の頃からの生活歴に基づいてなされているのも理解した


この時のために、ナースになったのかと思うぐらい
医療のベースがあって初めて理解できるこの理由を聞いて
わたしはゆきみさんに関する興味が0になった


その時から母親からの電話をブロックして
ゆきみさんを滅殺した


そこにまとわる感情などは
一人で幼少から生きる生きづらさと相殺されていてとっくに無くなっていたので


おーこんな事聞けるとか虐待サバイバーとしてもう卒業したな!という気持ちしかなかった笑


世の中には、どんな事があっても親子だから分かり合えるとか
親のこと悪くいうもんじゃないとか
なんの足しにもならない事をいう人がいるけど


自分が幼少の頃から、自分を守って生きる術が壮絶すぎて
ぜんぜん入ってこない笑
まずゆきみさんに育てられ、お金をいつも搾取され
家族にいつも性的搾取されそうになり気を張って
そこから学歴もなく働いて一人前に大学に行きますみたいな事をやって難病になってから言うてくれと思う笑


そして自分の哀しさや辛さは人と比べるものではない
「それはあなたの主観ですよね」というヒロユキの言葉を返していいと思う


自分で自分の親ガチャのケツ拭いてる人に浴びせる言葉ではない
虐待サバイバーは、そこを強く持って打破していってほしい


これは一般の人にも言える事で
どんな小さく感じる事でも
あなたの哀しみや辛さはあなたの主観で、物差しでいいと思ってる


自分でそれを拭っているのならなんら恥じる事はない自分を大切にする心はなかなか育たないから


そしてこういう回答が得られない人も
人は「行動」なのだという事をわかってほしい


口は無料でなんとでも言えるから


自分を大切にしてくれること
本当に相対してくれているか
魂の測りを持って、自分に優しい人と付き合ってほしいよ


わたしはまだ人に優しくできるような段階ではないかもだけど
自分を労るスキルは磨かれてきてる


まずは自分が幸せに
余力があれば、人に優しくしたらいいと思う


少しの間言葉巧みに自分に優しい人に惑わされる事もあるかもしれない
でもそれが続かないところでまやかしなのだ


自分を大事にすると同時に、自分を「行動」で大事にしてくれる人の方向をみて
いい影響を受けよう


みんな幸せになるんだ
頼んだぞ

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