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私と母の変化。スキンシップで芽生えた2つの感情。

母が泣き崩れて励ますように母を抱きしめた日から私達の関係に少しだけ変化がありました。

私達、というか普通の母子は小学校高学年くらいから自然にスキンシップは少なくなると思います。
うちの場合も同様でいつからか母とベタベタしたり一緒に居るのが恥ずかしいと思うようになり、自然に適度な距離を保つようになりました。

災害で2人きりの家族になったこと、準備もないままに高校生の息子を一人親で育てなければならなくなったこと。
そんな特殊な事情からふいに母は私に弱さを見せてくれました。

私達に起こった変化とはあの日から私達母子の間にスキンシップが増えていったのです。

スキンシップといってもあくまでその時の私達の関係は普通の親子です。
過剰にベタベタと接触したり性的なものではありません。

部活のバスケットを終えて帰ってきた私が腰に痛みを覚えて時に優しくマッサージしてくれること。
母はコールセンターの仕事以外にヨガのインストラクターで週に何回か教室を持っていました。
そのせいもあってか気持ち良くリラックスするマッサージがとても上手です。

逆に母が肩が凝ったという時にはぎこちなく私が揉んであげることもありました。
お世辞でも母が気持ちいいと言ってくれることが恥ずかしくも嬉しかった。

ここまでは普通の親子のコミュニケーションの範疇かも知れません。
私達がその後に結ばれることから思い返すとキーポイントになったであろう変化。
それは災害のことや失ってしまった家族のことを思い出したり、おそらく仕事場で嫌なことがあった日。
母は私の前で涙を見せたり落ち込んだ様子を見せるようになっており、その度に私は母を抱きしめて慰めるようになっていたのです。

私の胸に顔を寄せて時に泣いたり時に目を閉じて安心した顔を見せる母。
「渉ごめんね、弱いお母さんでごめん。」
「渉が居てくれるとお母さん安心する。」
このコミュニケーションが繰り返される度に私が守ってあげないとという気持ちが強くなっていきます。
勿論、母の息子として。今まで私を守って育ててくれたのは母なんだから。

ただし、この時期の私は高校1年生から2年生です。
未成熟さゆえ「息子として母を守る」という気持ちと、言葉にするのも躊躇われる別の気持ちが入り混じる。
そんな自分を心の中で責めながらも贖いようがない衝動が芽生えていたのです。

抱きしめている時の母の香り。
柔らかい身体。

唇や首筋、胸元、腰、太腿に臀部。
自分に嫌悪を覚えつつも女性らしい部分を求めて母に視線を這わせてしまう。

女の子と付き合った経験もない、思春期の私には抵抗することが出来ない衝動でした。
「大切なただ一人の肉親である母親」「誰よりも近くにいる魅力的な異性」

決して結び付けてはならない二つの感情が長い間、私を苦しめることになります。

#恋愛 #エッセイ #母子家庭 #近親相姦

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