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父親のいない母子家庭になった

どうして私と母がお互いに恋愛感情を持ち恋人になってしまったのか。
後悔は全くありませんのでなってしまったという表現は適切ではないかも知れませんが・・・

今のような関係になってしまった大きな原因を思い起こせば、父親不在の家庭。
母子家庭であったという環境的な要因は無視できないものであったと思います。

勿論統計的なものではないですし私達が稀すぎるレアケースであることは自覚しています。
母子家庭であっても、健全な(私達の関係を不健全だと感じていませんが一般的な捉え方として)親子関係を気付いている母子が殆どでしょう。
ただ私達のことを思い返せば父親が健在であれば今のような関係には至っておらず、母親に恋愛感情を抱くことさえ無かったと断言できることも事実です。

私の育った町は岩手県の某市。高校1年生までは、父方の祖父、父方の祖母、父、母、私の5人家族でした。
祖父は会社を経営(会社ではあったものの実情はほぼ自営業)祖母と父も祖父の会社で働いており、母は専業主婦をしながらたまにカルチャースクールでヨガのインストラクターをしていました。
ちょっとしたケンカや私の反抗期など多少の諍いはあるものの一般的には仲の良い家族だったと思います。

私から見て祖父や祖母と母の間に確執のようなものを感じることは無かったですし、父と母の関係も凄く良好であったと記憶しています。
特に珍しいこともない普通な家族でした。私が高校1年生の3月11日までは。

3月11日のあの時。高校で部活中だった私。
校庭で「あれ立ち眩みか?」と思うような弱い揺れを感じたと思ったら徐々にふらつくぐらいの凄まじい揺れに。
校舎内からもガラスの割れる音やおそらく椅子や机がガタガタと凄い音を立てているのが聞こえ、中に居た生徒や先生達も駆け出して校庭に避難してきます。
一旦揺れがおさまりましたが先生達も戸惑って今後の流れを話し合っており、しばらく友人達と校庭で待機。
携帯を見ると父と母から安否確認のメールが来ていたのでどっと安心感が増したのを覚えています。

それから少し時間が経つと先生が付けていたラジオから津波が沿岸部を襲っている様子が流れてきました。
私の住んでいた市は内陸だったので心配は少なかったものの、なんか凄いことが起きているのでは?という漠然とした不安を覚えました。
それから少しして母が車で高校まで迎えに来てくれて帰宅することに。

母は自宅に居たそうですが、幸い家の中はそれなりにグチャグチャになっているもの倒壊や窓の割れなどは無いようです。
「お父さん達、今頃大変だね。今日帰ってこれないかもね。メール来たから大丈夫だと思うけど・・」
帰りの車中で心配そうに呟いた母の言葉で、今日は祖父母と父が宮城県の沿岸部へ仕入れだか見本市だかに行っていることを知りました。
携帯は通信制限がかかっているようで今は電話もメールも出来ませんが、地震直後すぐには母や僕のもとには父からの安否メールが届いていました。
それがあったので胸騒ぎはあるものの母も私も父や祖父母の安否はさほど心配していませんでした。

結局、父と祖父母が家に帰ってくることは二度とありませんでした。
私達は想像もしない出来事とタイミングで母子家庭になった。

ずっと母を大事に大切にしていると言い切れる自信はありますが、父と祖父母がどう思うだろうと思うと今でも胸が苦しくなる時があります。

#恋愛 #エッセイ #母子家庭 #近親相姦

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