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再会への想い。母に会いに故郷へ。

私に初めて女を教えてくれた女性、寛子さんという恋人が出来たあの一夜から私の生活は一変しました。
ほとんどの男女がそうであるように私もまた恋に盲目となり、生活や価値観の中心が恋人である彼女になっていたのです。

とはいえ同年代のカップルとは違い30歳程の歳の差があり、ましてや別居しているといっても寛子さんには旦那さんが居て不倫の関係です。
仙台はそれほど狭い街ではないものの大手を振って出歩くという訳にはいきませんでした。
一緒に働いていたバイト先ではそれ以上に気を付けなければなりません。
今までどおり週の半分ほど顔を合わせてはいますが2人共意識してしまい職場では殆ど会話らしい会話も出来なくなっていました。

そんな人目を忍ぶような関係が私達の繋がりを強くしたのだと思います。
寛子さんは既婚者とはいえ旦那さんも娘さんも離れて暮らしているので一人暮らしのようなもの。
度々私の家に泊まるようになり愛を深めていきました。
仕事が重なった日は日中の抑圧もあり、それを埋めるようにお互い何度も何度も激しく求めあいました。

初めてのセックスで避妊をせずに行為に及んでしまったせいなのか。
なし崩し的に私達は避妊をしていませんでした。
勿論、妊娠に対しての危機感や彼女に対しての責任もあり膣内に射精することは自制するよう自分に言い聞かせていました。
ただ、その自制も気持ちが昂った時には意味をなさず、寛子さんからも度々求められるようになっていたのです。

学校で勉強をする、バイトで働く、その間ずっと寛子さんのことを考える。
寛子さんとのあの濃密な時間に早く戻りたい。そればかりを。


夏に寛子さんと結ばれてからそんな日々が半年ほど続き、大学は冬休みに入ります。
私には気掛かり、といってよいのか悩んでいたことがあります。

それは年末年始、岩手への帰省。
メールや電話で度々連絡を取っていたものの、母と直接顔を合わせるのは入学式以来。
まともに向き合っていたのはあの最後の夜以来です。

前にも書きましたが私が地元の大学を選ばなかった理由は母への抱いてはいけない感情を抑える自信がなくなったから。
入学式の時のように外で会う分には自制が効きますが、数日とはいえまた一つ屋根の下で生活を共にして私は耐えられるのだろうか。
また、二人の間に母子ではない時間がもし訪れたなら・・。

一方で純粋に息子として母に会いたい気持ちも強いのは事実です。
私のためにと自分の寂しさを抑えて送り出してくれた母。
母のことを想うと一人にさせている申し訳なさと恋しさが胸に募ります。

結局私は純粋な母への想いを大事にしようと2泊3日での帰省を決めました。
当時の自分と違い、今は寛子さんもいます。
あの時の母へ抱いた想いは間違い、性に飢えていた未経験の高校生だったからこその錯覚だったのだという気もして。

そして12月31日。
私は暫くぶりに岩手に帰り母に再会することになります。

#恋愛 #エッセイ #母子家庭 #近親相姦

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