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千葉篤胤の転生記_22~治承・寿永の乱

篤胤とオキクさんはしばらく話し込んでいた。オキクさんは江戸で町娘だったがある日、この時代の巴の中へと転生してきた。当時は巴はまだ幼少でなかなか慣れるのに時間がかかったらしい。

巴の中にオキクさんがいる事は巴の兄である中原兼平(今は今井兼平)と中原兼光(今は樋口兼光)、そして源義仲だけだった。4人は小さい頃から一緒に育ち遊び、時には喧嘩もする家族のような親友のような仲だったようだ。

篤胤もオキクさん以外に転生してきたスミレ(平教経へ転生)の事を話した。オキクさんは「ほかにもだれか、こっちの世にきてるかもしれないね」と呟いた。

かなり劣勢な源義仲軍ではあるがオキクさんがいう倶利伽羅峠での反撃の日も近いらしい。篤胤の知っている未来とも話が合致していたので篤胤はこのまま越中に留まらず下総へと戻ることにした。

オキクさんは別れ際の時、篤胤に尋ねた。

「そうそう、義経ってのはどんな奴なんだい。あたしが講談で聞いている義経はちいさくて美男子で心優しくめっぽう強い武人ってなってるけどね」

篤胤はちらっと数回みたくらいだけだったが、たしかに小さく顔立ちは整ってたよと返した。とはいえ篤胤は義経が頼朝へ合流してきて1年以上経つけどほとんど見かけていない。弁慶とか義経一門はいつも鎌倉の館にほぼ籠っているようだし。

下総に戻って幾日か経った。

倶利伽羅峠で源義仲軍が大勝し、その勢いで京まで進軍し上洛を果たす。平家は安徳天皇を伴って京から西国へ落ち延びてゆく。

源義仲軍の上洛の話は鎌倉にも届いた。鎌倉では先を越されたという想いも一部の者たちにはあったが、あまり騒然とせず落ち着いていた。頼朝は平家と義仲の争いの中、源信義との協調を強め、信義は頼朝の一派となっていった。

ここに「西に平家」「京に源義仲」「東に源頼朝」という新しい三極が開幕となる。



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