舞台「氷雪の門」を観て感じたこと

先日舞台を観に行きました。

中野にあるテアトルBONBONという劇場で、Gフォースプロデュースの「氷雪の門」という舞台です。

太平洋戦争時に樺太に住んでいた日本人の電話交換手の女性たちの話です。

お国のために誇りをもって仕事に従事し、生きたいと、生きてまた皆で会いたいと願っても生きることのできなかった若い女性たちの話でした。

僕はあまり戦時中のことを知らなかったのですが、氷雪の門とは北海道稚内市にある慰霊碑だそうです。

日本最北端の宗谷岬、最北端の離島礼文島、利尻島などの近く、樺太が望める場所にあります。

「両側に高さ8mの門(望郷の門)があり、中央に2.4mの女性の像がある。 女性の像については、顔は戦争で受けた苦しみを、手のひらを見せているのは樺太も家族も失ったことを、足はその悲しみや苦しさから早く立ち上がることを表しているとされている。」 Wikipediaより

1945年8月15日がポツダム宣言受諾が布告され終戦となりましたが、当時の樺太ではそれで終わりにはなりませんでした。

終戦間際に中立条約があったにも関わらずソ連が侵攻し、8月25日までに樺太に住んでいた日本人40万人のうち2000人の方が亡くなったそうです。

もちろん舞台はお芝居なので、細かなセリフややり取りには創作が入りますが、今から75年前にあった本当の話です。

おそらく現代の日本人でお国のためにと目の前に軍艦が迫り銃声が響く中、最後まで命を懸けることは馬鹿げてる、命あっての物種だ、国のためより自分の命と考える方が多いのではないでしょうか?

僕もそう思います。

それが良いとか悪いとかそういうことではなく、そういう時代だったのかなと思います。

そういう時代に命と仕事への誇りをかけて最後まで戦った女性たち。

当時の電信電話といえば情報をいち早く伝える唯一の緊急連絡手段だったと思いますが、それが途絶えて混乱を招くことのないよう、余計な死者をださないように、最後まで人と人を繋いだ電話交換手の方たちの思いに涙が止まりませんでした。

ちなみにうちの祖父もまだ存命ですが戦争経験者です。

本人が当時のことを思い出したくないのかあまり話しませんが、シベリアに抑留されていたそうです。

今回の舞台を観て、改めて「生きる」ということを考えさせられました。

いずれその舞台となった「氷雪の門」から「樺太」を見てみたいと思いました。

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