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魚卵

 先日、季節外れに子持ちカレイの煮付けを食べた。小さな頃から魚卵が好きで、いくらや数の子たらこ等、ぷちぷちした卵を特に好んで食べている。このままだといつか痛風になるような気もしなくもないが、まだ二十二歳だから大丈夫だろうと高を括っている。具体的な痛風の症状が何なのかはあまりよく分かっていない。美味しいものを我慢して生活するくらいなら思い切って食べた方がいい。しかしそう思ってはいても、基本的に魚卵は値段が高い。数多の未来を潰えさせているからこの値段なのだろうなと思わなくもないが、あれは集合体でなければ美味しくないのだから仕方がない。海に出ても数匹しか成魚にはなれないらしいので、どっちみち潰える命を食べているのに。魚卵はやけに希少価値が高い。

 しかし、先日の子持ちカレイは四切れ入って六百円しなかった。うちの食費はちょっとおかしいので、肉を買うより刺身の柵を買うより、四切れで六百円しないカレイはいつものメインより十分に安かった。元々何か出汁をとるような料理をしようと思って寒いスーパーを歩いていたが、陳列された子持ちカレイを見て、全ての予定を覆した。一か月前、調子に乗って買ったちょっとお高い鰹節と昆布には、もうしばらく眠っていてもらうことにした。どうせ週に一回の料理当番で、要するに私の好きな物を作る日なのだから誰も咎めはしない。(時々温かいトマトとミンチ肉が好きでは無い父に微妙な顔をされているが、見なかったことにして押し切っている)今日も何を言われても押し切るつもりでスーパーに連れてきてくれた父に声をかけつつ、半身のカレイが四切れ入ったパックを手に取った。

 実際に作る段階になって、そういえば一度も魚の煮付けを作ったことが無いことに気が付いた。うちの主食は肉である。スマホで調べて適当に作ることにした。サイトによって違う分量の調味料を見ながら、こうやって家の味の伝承的なものが途絶えていくんだろうなと思う。母はあまり料理が好きではない。けれど苦手なわけでもないので、聞いても「まずお酒だぁーッ、って入れて」とか関西人を凝縮したようなレシピしか出てこない。料理が上手だった隣に住む祖母は、最近、どれだけ味付けをすればいいのかが分からないと言っている。同居している叔母曰く、出来上がった料理は毎度やりすぎていてしょっぱいらしい。適当に心の中で三秒数えて醤油のボトルを傾ける。大体一秒が大匙一と同じくらいらしい。テレビで見た。適当にやっても不味くはならないので、砂糖もいい感じに加える。私は甘めが好きだけれど、父も母も甘いご飯があまり好きではないので妥協の狭間を狙う。百均で買ったぺらい落し蓋をして、ほったらかしておく。結局出来上がった後も自分で卓上へと用意するのをいいことに、四切れの中でも特にめいっぱい卵が詰まったカレイを自分の皿へとよそった。味見をするのを忘れたことに気が付く。食べてみれば煮付けは少しだけ甘くなくて、若干実家の民意に負けた気がした。

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