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26年間走り続けた列車から途中下車してみるというお話

現在26歳。独身。

どうしたものか。2020年3月からのコロナパンデミック以降、日常生活が180度変わった日々をただ何気なく生きていくうちに、これまで抱いてこなかった将来に対する漠然とした不安が自分を襲うようになった。

世界全土を猛威に振るった新型コロナウイルスは、経済の大部分から細部の消費者の日常までも一瞬で変えてしまったのだから、まあ当たり前と言われればその通りだ。

ただ、私の場合、その感情は人より強かった。というか危機感に近い感情が全身を覆うイメージに近い。

・JTB 社員6500人削減、経常利益1000億円 赤字

・ANAホールディングス 2025年までに9000人削減

これらのニュースは多くのメディアが一時期、大々的に報じていたため、知らない人の方が少ないのではないだろうか。

コロナ渦真っ只中の2020年5月頃、人材業界で働くわたしは、コロナが引き金となって逆に忙しくなり、仕事に忙殺される日々が続いていた。そんな日の仕事終わり、JR茨木駅の構内で最終電車を待っていると、こんなニュースがiPhoneの上部にポップ広告として表示された。そして考える。

”いまのおれ、このままで、だいじょうぶそ?”

そう感じた次の日には、また同じ日常に引き戻され、その感情がその後半年現れることはなかった。

人の忘却能力とやらは、素晴らしい。

が、2021年に会社の部署異動命令が発令され、地獄のような激務の日々から天国のようなホワイトな部署に異動することができた途端、半年前のあの感情が、もう一度自分にブーメランのように返ってきた。

その漠然とした不安を自分なりに紐解いていった結果

“コロナでいつ会社に捨てられるかわからない社会になってしまった。ならいつ会社に首を切られても1人で生きていけるスキルを身に着けないといけない”

という使命感に近い、強い答えに行き着いた。

自分の中でこういった悩みが自分を苦しめていたんだと気が付くと、すぐにじゃあなにをしないといけないのか、という次のステップに移るようになった。身軽になった。

よし!ほな自分にいまできるスキルから考えよ。なにができる?と、自分に向けた質問を繰り返す度に、脳みそを金づちで叩かれているように頭は痛くなった。

情けない。

そして、行き着いた答えが

“なんにも思いつかん(笑)” 

これが現実だった。情けない×2。

けどここで諦めたくなかったわたしは、1つのアイデアに賭けてみようと思った。

それは、なにもないならスキルを付けよう、ということ。

小さいころからこの楽観的な思考には何度も助けられた。

けど、なにをしよう。なにがしたい?そう考えた時に、趣味で3年継続していた“筋トレ”が頭に思い浮かんだ。

普段、なにを始めようとしても3日続けば上出来だったわたしが、3年も継続できているんだから、ここになにか可能性があるかもしれない。

そう一人盛り上がっていた時、高校時代の友人G君からInstagram経由で連絡がきた。InstagramのDMで連絡が来るあたりが、久しぶり感を更に引き立たせる。

“そういえばさ、わたる筋トレやっとーよね?おれさ今年BBJ出るから一緒出やん?”

BBJ。

この存在は前から知っていた。

BBJ、通称ベストボディジャパン。健康美を競うボディメイクコンテストの1つだ。近年、芸能人が出場するなどして人気を集めている。

実は、姉が2019年にこのBBJに出場しており、一度応援に行ったことがあったのだ。

極限まで自分を追い込み、体脂肪を削り落とす。筋肉の筋がくっきり見えるまで食事を節制して、NO.1の体を競うのだ。

そんな大会にいま自分が友人から誘われている。現実とは思えなかったが、一度挑戦してみる価値はありそうだ。そうなぜかポジティブに思えた。

そして減量を開始し、半年後にはステージに立っていた。笑

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はじめは、とりあえずやってみよう。という安易な考えでスタートさせた減量。次第に適切な減量に関する知識や手法、筋トレの正しいフォームなどを独学で学んでいった。

目標に向かって進んでいく過程が本当に楽しかった。体が変わることで、自分に自信がついていく。更に自分を追い込み、成功体験を積み重ねる。その日々の連続が、内なるパワーとして自分を加速させていった。

個のスキルを身に着けないと。

この感覚を強く抱いた2021年2月。

そこから半年後の7月には、大会を通して学んだ経験を活かして、痩せたい人、太りたい人向けの食事管理指導をスタートさせていた。当初は、完全無料でモニターを募り、7名ほどの日々の食事を見ていたが、そこから何名からかお金を払ってでもお願いしたいと、ご依頼をいただくことも増え、9月頃には有料でクライアントを持つようになった。

シンプルに嬉しかった。

なにもスキルがなかったころから、1つ1つ地道に積み上げてきた経験やノウハウに、お金を払ってくれる人が少ながらず居てくれること。

素晴らしい成長を感じた。

ただ、次第に物足りなさも感じていた自分もいた。

痩せること、太ること、人それぞれの目的に対し、コミットさせることは可能であったが、その先のBeing(痩せてどうなりたい?)までは支援できないことに気が付いた。

つまり一時的な支援に行き詰ってしまう壁に、もっと深い部分まで関わっていける、そんな支援をしたいと漠然と考えるようになり、食事管理サービスを一時ストップさせた

なにができる。なにがしたい。もっと人に寄り添えるサービスってなんだ。

てか、そもそも自分の人生、これからどう生きていきたい?

そこからの数か月、色々な人に相談し、話を聞いてほしいと思った人すべてに会いに行った。答えが出せずに自分から逃げてはまた立ち戻ってを繰り返し、人生で一番自分と向き合った数カ月だった。

そうして悩み抜いた末に行き着いた1つの選択肢が見えてきた。

小さいころから憧れていた、そしてずっと諦めてきた夢。

そう。

“起業する”

という決断だったのだ。

本noteでは、僕がなぜこのような決断に至ったのか、なにを成し遂げたいのか、過去を振り返りながら説明したい。

少し長くはなるが、どうかお付き合いいただきたい。

第1章:他人との比較で生きていく残酷な社会

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この世の中というものは、人と人とをなにかに競争させ、そしてせめぎ合いの中で優劣をつけることで経済が活性化するような構造になっている。これが資本主義の社会だ。

そして、最近、とくに感じることは

他人からの評価や見え方を意識するあまり、“他人軸”で生きてしまう人が増えてしまった。

ということ。

その確固たる原因は、iPhoneの登場。SNS社会の拡大にあると思う。

SNSが急激に普及した時代に生きる我々は、他人からの“いいね♡”を集めることが人生の最優先課題かのように、いかに輝かしい日々を他人に見せるかに時間を浪費してしまう。

(なにが食べたいか?よりも、なにを載せれば映えるか?の論点でお昼ご飯を選ぶ時代)

5分に1回はSNSを開く日々。その度に、他人の輝かしい私生活が目に留まり、無意識のうちに自分の私生活と“比較”してしまう現象が起きる。

そして嫌でも、この資本主義の世界の中で自分がどのポジションにいるのかを客観的に知ることになる。(本当は知りたくもないのに)

こいつは裕福でいいな。
あいつは元がイケメンだから。
え、あの子フォロワー1万人もいるじゃん。

そんな不平等な社会を妬み(ねたみ)、他人を嫉み(そねみ)、自分って誰のために生きてんだっけ。とそう感じるひともいるのではないだろうか。

実は、過去の自分はその1人だった。


第2章:人生のマニュアルを捨てる

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いつだったか、昔だれかにこう言われたことがあった。

『いい大学に入らないと、いい会社には入れないよ』

その言葉を信じて、必死に勉強して立命館大学に入学し、某人材会社P社に入社した。

けど、いざ入社すると会社の先輩にこう言われた。

『新卒というのはね、だれよりも早く来て、仕事を覚えないと。多少の残業も必要なんだよ』

なにも知らない自分は、新卒とはこういうものなんだ。と、目の前の仕事を必死にこなした。その結果、ここでは言えないほどの過重労働に陥り、月の残業時間はいまの日本人男性の平均寿命くらいにまで行っていた。これが異常だとも思わなかった。

またある時には、別の先輩に

『将来、結婚するなら30歳で貯金600万円ないと人生詰むよ』

などど脅され、夜な夜な30歳までの貯金シュミレーションをExcelにまとめたこともあった。(※まとめただけ)

人はこのように、人生のマニュアルを必ず持っている。

だれが決めたかわからないけど、だれもが持っているのが、このマニュアルだ。

私はこの26年間、このマニュアル通りに生きてきた。みんなが右と言えば右にいくし、これが正解と言われれば、疑うことなく飛びついたきた。

振り返ると、たくさん失敗もしたこともあったけど、過去選択してきたすべての節目において、いま全く後悔がないことを思うと、きっと間違ってはなかったんだと感じる。

けど、そんなマニュアル通りの人生に、26歳というタイミングで

            “飽きてしまった”

自分の人生を歩んでいきたいと心から思ったのだ。

第3章:個人事業主の両親の元で生まれた長男坊

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簡単にここで自己紹介をさせてほしい。

橋本 航(わたる)。1995年、6月のジメジメした梅雨の時期に、京都で生まれ、姉が1人、妹が1名おり、その間に挟まれる形で幼少期を過ごした。

女兄弟に挟まれ生きてきた人生で唯一良かったことは

① 女は怒らしたら怖い。という生々しい事実を小さいころに知れたこと
② 女の人がなにを考えているのかの奥底を理解できるようになったこと

である。特に①はでかい。(苦笑)

両親は2人とも、個人事業主だった。本当に2人ともよく働く人で、いまでも尊敬の言葉しか出てこない。

小さいながらにして、“個で稼ぐ”働き方をまじまじと隣で見てきた。

親の顔を見れば、事業がうまくいってないんだな。とか、あ、今日はいいことがあったんだな。と小4の自分はすぐに感じ取れるまでになっていた。

家計が苦しくなると晩御飯の品数が減ることもしばしば。

目に見える変化を感じながらも、その働き方がずっと憧れだった。

なによりも、両親は自宅で仕事をしていたので、ずっと隣にいてくれた。

サラリーマン勤めの方なら、朝早くに会社に行って、夜遅くに自宅へ帰ることになる。親と顔を見て話せる時間は限られてくるだろう。

膨大な愛を注がれ育った私は、自分が将来子供を育てるなら、子供ために時間を費やせる、そんな人生にしたいな。そんなことを、中3の時に感じていた。

中学3年生の夏。

バスケットボールを中学1年からがむしゃらに頑張ってきた私は、バスケが強い強豪高を選ぶか、勉学で立命館高校を選ぶか、人生の岐路に立っていた

けど立命館高校の大まかな学費の存在は知っていて、心のどこかで金銭的に両親を苦しめてしまうのではないかと考えていた。

いろいろな葛藤があったが、どうしても自分は立命館に行きたいと、当時、はちゃめちゃに怖かった父の仕事場に行き、その旨を伝えた。

心臓が止まるかと思ったが

父は、こちらを一切振り返らず、“その道で頑張れ”と応援してくれた。その瞬間のことは今でも鮮明に覚えている。

この瞬間、高校3年間、大学4年間の計7年間という長いレールに乗ることになる。

立命館高校の学費は下記の通り。

入学金:12万円

授業料:63万円

教育充実費:24万円

計:99万円

これが1年間の学費だった。

個人事業主として生計を立てる両親にとって、この金額がどう見えていたのか。いま思うと涙が出そうなくらい感謝している。

けど、やはり学費のインパクトは大きかった。家計の経済バランスが少しづつ崩れていくのが、きれいに見て取れて感じた。

“おれのせいだ・・”

そう自分を責める時期もあったが、いま自分にできることで還元しようと、とにかく勉学に打ち込んだ3年間だった。

いつしか大学に入り、そんな苦しい両親を見てきたわたしは、漠然と安定した会社に入って、出世して、安心させてあげたい。という思考に変わっていった。

就活の面接で、就活の軸はなんですか?と聞かれる度に、業界が伸びていること、そしてそこで働く人です。なんて口先だけの言葉を並べ

本心では、親を納得させれる会社。という軸で就活していた。

結果、創業10年目のベンチャー企業の内定と、グループ総売9500億円になる大手企業との内定を得た自分は、迷うことなく大手企業を選んでいた。

両親はすごく喜んでくれたし、なにより個人事業主にはありえない

“ボーナス”の存在には目を光らせてその魅力を話してくれた。

そんな嬉しそうに喜ぶ両親を見れた自分は、過去に金銭的に迷惑をかけてしまった両親への恩返しのような感覚に近い感情を覚えていた。

時は経ち、2022年になった。

3年間はとりあえず働こう。そんな想いで必死で働いた。気がつけば社会人4年目に差し掛かっている。

ふと考える。

だれのために生きているのだろうか。親のためなのか?

そう考え詰める日々が続くと、あの頃の淡い思いがフラッシュバックしてきた。

確実に抱いていた自分で経営していく憧れ。

けど、社会的な現実に自分の可能性に蓋をして、他人軸で自分のキャリアを歩んできてしまった。

現在26歳。独身。大好きな彼女はいるけれど、守るべき家族はいま自分にはない。

ここで変わらなければ、多分一生変わらないな。そう意を決して

一歩、踏み出すことにした。

第4章:本当にしたいことはこれだっだんだ

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昔、Youtubeのキャッチフレーズの

“好きな事で生きていく”という言葉を聞く度に、何度も寒気がした。

そんなきれいごとをメディアはおもしろがって取り上げてさ。と言わんばかりに否定していた。

いま。

その言葉のように、自分の人生を好きなことに賭けてみてもおもしろいんじゃないか。と驚くほど真顔で答えれる自分がいる。

2022年。

ずっとレールの上を走る列車から途中下車をすると決めた。そこに駅はない。

他人からの評価や見え方を気にして生きていく狭苦しい世界から飛び出して、だれが作ったのかわからない人生のマニュアルを捨てるのだ。

不安がないと言うと嘘になる。

けど、そう決めた途端、なぜか肩の荷がすっと下りた気がした。目に見えない重りを担いでいたようだ。

自分の好きな事で生きていると一言で言っても、かなり難しい難題であった。

思いつくやりたいことはどれも現実的ではなく、設備投資に1億はざっとかかるものから、自分がいままで経験してきた業種とはかけ離れた新サービスしか思いつかず、そのメモ用紙をくしゃくしゃに捨てる日々が続いた。

そんな矢先、中学の時の1つ上の先輩が、昨年起業したと聞きつけ、東京に会いに行った時にこう言われた。

“まずは自分のできることからはじめてみたら?スモールでいいだよ最初は”

この言葉にハっとさせられた。

いま自分ができること。それとやりたいことが合わさっていなかった。と。

必死に自分にできることを模索した。すると不思議なことに、この4年間人材業界にどっぷり浸かっていた時に経験した、“人のキャリアを支援する”というCANを認知できた。

キャリア支援って、ドライな言い方をすると“他人の人生”なわけで、興味のない人からしたら、どうでもいいかもしれない。

けど、私は目の前の求職者が、どう生きていきたいのかを真剣に向き合って、ともに考えていくこのプロセスに、無意識のうちに自分の強みを発揮することができた。そしてそれを苦だと感じることなく、自然を行うことができたのだ。

人の人生に寄り添うことが自分は好きなんだな。この事実を知ることができた。

そして、こんな自分のように、“自分軸”で生きれる人をもっと増やしたい。

人が絶対に持ってる人生のマニュアルをなくす支援をして、人の人生に寄り添う仕事を人生を賭けてやってみたい。

次第におれってこういうことがしたいんだな。

そう感じるようになった。

第5章:“リベティ”というサービス

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もう他人軸で自分の人生を彩ってほしくない。

この世の多くは

周囲からの評価、世間からの批判、昇進、お金、結婚、育児、プライド、時間、こういった障害がこの世の中には蔓延っていて、その人本来の可能性を殺してしまっていると強く感じている。

もっと自分軸で生きていける自由な人を大量生産したい。

そんな世界観を創るために、より自由に、そしてもっと自分の野望や信念に忠実に、世間から見たらマイノリティーでも、その人生を生きていく。そんな人を自分の手で生み出したい。

そんな想いを込めて、リベラル(自由な)×マイノリティー(少数派)でリベティというサービスを作り上げている道半ば途中に今いるわけだ。

人生において、漠然とした不安や将来への悩み、仕事は一生懸命頑張ってはいるけど、どうも満たされない日々に嫌気がさしている。変わりたい。けど、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかすらわからない。

そんな方々が持つ価値観や才能を1つずつ引き出し、人生のマニュアルを捨てさせ、自分らしい自由な生き方を見つけ出す。その1つの手法として“コーチング”を駆使していきたいと考えている。

コーチングとは、答えは相手の中にある。を前提とし、クライアントがどうなりたいのかの未来と今の課題とのギャップをコーチとの対話を通して明確化し、目標達成の行動を相手に促す手法である。

ここ数カ月、実際に自らがコーチングを受けながらそのサービスの魅力や奥深さを学んできた。

まだスタートラインにも立ってもないが、人の長い人生の中で自分という存在がコーチングを通して大きなインパクトを与えれる。そんな生き方が実現できれば、わたしはこの上ない幸せを感じることができる。

第6章:過去は現在の解釈

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私の尊敬する経営者の先輩が、教えてくれた言葉。悩んだ時、立ち止まった時に必ずこの言葉を思い出す。

いまなにかに挑戦しようとしていて、Aという選択肢かBという選択肢かを悩む人がいれば、こう考えてはどうだろうか。

その選択に、現時点ではなんの意味も持たない。なぜなら、その選択が良いか悪いかを判断できるのは、未来の自分が判断するからである。

つまり、現時点で発生する様々な選択には実は全く意味はなく、将来の自分がその地点から過去を振り返った時にはじめて、その選択が正しかったのか間違っていたのか判断できる。

そう。過去の選択は、現在の解釈にすぎない。であれば、いま下そうとしている選択を、将来の自分が納得して“あの時の自分は正しかった”と言えるように、行動し、考え、努力していくだけである。

例えば

A:サラリーマンとして残留する
B:個人事業主になる

→もしAを選んだとしても、現時点では正解も不正解も存在しない。むしろその選択で全然いい。ただ、1年後、2年後、残留を選択したことを後悔しないように、正しかったと誇りを持って言えるように、行動し努力していく必要があるわけだ。

もう1つ。

A:かなこちゃんと付き合う
B:ちはるちゃんと付き合う

→もし、ちはるちゃんと付き合うを選択しても、この時点で正解か不正解かなんてだれもわからない。であれば、いまこれから、ちはるちゃんとしっかり向き合って、紳士に丁寧に愛してあげる。そうすればきっと数年後、付き合ってよかった。と思えるはず。そこでようやく付き合ってよかったと判断できるわけだ。

自分もこの起業という選択肢が、現時点では正しいかもわからない。

ただ、1年後、5年後、10年後の自分が、

“26歳で起業ってあんときは人生なめ腐ってたけど、いま思えば正しい選択だったよな”

こう思えるために、この1年突き進むのみ。そう考えている。

このサービスは古くからの友人2名と共に作り上げています。

素晴らしく尊敬できる2人です。そして大好きな2人です。

応援してくれるととても嬉しいです。

そしていま無料でのコーチング体験セッションを募集中です。

将来が不安。でもどうしたらいいかわからない。

そんな方は連絡ください。

あと、もう1つ。

フィットネス事業も展開していきます。

2カ月で体を変えるカリキュラム内容で、デイリーで食事内容をでサポートするサービスです。

夏までに変わりたい方、ご連絡お待ちしております。

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では。

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