裸の王様
「裸の王様」という寓話をご存知だろうか?
バカものには見えないとされる生地で作られた服を身にまとって(身にまとったつもりになって)パレードをする王様の話だ。
身の回りに批判者や反対者がいない人を揶揄する内容であるが、現代の教育はこの状況に近いのではないかと僕は思う。
現代の人々は多様な価値観の中で生活をしている。
金銭感覚はもちろん、海外思考やLGBTQなど、各個人の感性や考えを尊重する世の中になったからだ。
それ自体は悪いことではない。
「強者は勝ち、弱者は負ける」というような一遍的な構造が変わり、1人1人の個性が輝ける環境があるという証拠だからだ。
しかし。
その「多様な価値観」が教育を難しくさせているのは事実だ。
「僕は僕のやり方があるので。」
「うちの子はそういうやり方じゃ成長できないんです。」
こんな発言が教える側の肩身を狭める。
今の時代、教える側は何をしても弱い。
少しの見え方の違いで世の中に簡単に批判され罵声を浴びせられる。
「お前の教えなど聞くものか」とすぐに跳ね返される。
そんな世の中に一言言わせてほしい。
「多様な価値観」という言葉はそんなに便利な言葉ではない。
あくまで他人を認めるための言葉であり、自分を認めてもらうための言葉ではない。
というよりは、自分を認めてもらうために使うよりも他人を認めるために使った方が幸せになれるのではないだろうか?
他人の価値観を自分のものとは別物だと認識して接する方が人間関係でのストレスは軽減するし、普段から他人の価値観を認めている人の周りには同じような人が集まるからだ。
つまり、自分が他人を認めていれば「類は友を呼ぶ」で自分を認めてくれる他人が自分の周りに集まるというわけだ。
そしてそして、他人の価値観を認めている人には率直な意見が集まりやすい。
率直な意見が集まりやすいということは…
裸の王様になりにくいのだ。
少し脱線してしまったが教育の話に戻る。
冒頭で「現代の教育は寓話「裸の王様」に近い状況にある」と僕は言った。今の世の中の風潮では、どうも教育を受ける側が裸の王様になりやすい状況にあると僕は思っている。
なぜなら、教える側の価値観を教えてもらう側がなかなか認めないからだ。
もちろん、大切な子供の将来を考えた結果そうなっているのはわかる。
もちろん、自分には自分のやり方があるのもわかる。
わかるが、
まずは教える側の価値観を認め、そのまま飲み込んでみてはいかがだろうか?
教える側を応援してみてはいかがだろうか?
その方が得をすると思う。
率直な意見をもらえるのだから。
裸の王様ではなくなるのだから。
言い訳をやめてみよう。
自分の価値観の押し売りをやめてみよう。
認めてみよう。
受け入れてみよう。
とはいえど、教える側も多様な価値観を理解する努力は絶対に必要だ。
そのために自分の価値観を深く理解する必要があるし、それを人に伝える練習をする必要もある。
たくさんの人と話して、たくさんの意見を取り入れて、自分を理解し、磨き、深めなければいけない。
他人を認める一方で、自分を認めてもらうための自己研鑽の努力も必要ということだ。
井藤 亘(いとう わたる)
名古屋アクロバットスクール
20年以上続けてきた「男子新体操」というスポーツをより多くの人に知ってもらうため、日々活動をしています!! 頂いたサポートは、今後の活動費、またはその勉強のために使わせていただきます!🙇♂️✨ また、サポートとともに記事のリクエストも募集しております。