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飯田和敏の芸術性 〜 『アクアノートの休日』 再考〜

「子供の芸術は自身を原始へ変換し、唯一子供は彼自身の模倣を生み出す。」―マーク・ロスコ


 飯田和敏のゲームは、既存の何にも属さない。
 唯一カテゴライズするならば、芸術。
 安易な言葉だが、それ以上でも、それ以下でもない。


 現在、様々な批評家たちがゲームを論ずる。
 東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生〜動物化するポストモダン2』(2007・講談社現代新書) によって更新してから時代は過ぎた。
 宇野常寛の『母性のディストピア』(2017・ハヤカワ文庫JA) のゼロ年代も終焉を迎えた。
 中沢新一が、『Pokémon GO』(2015・ナイアンティック/株式会社ポケモン)の中に潜むレヴィ=ストロース的な「野生の思考」とマルセル・モースの贈与論で神話学としてゲームを紐解き、中川大地がカイヨワの理論を用いて人間の遊戯の追求を、文明史的な思考プロセスから行いテレビゲーム理論を構築している。
 しかし、今ではどれもが、どこかオールド・ファッションだ。


 では、我々の芸術はどこへ行った。
 芸術家は、なぜ黙するのか。
 古き良きメディア・アートは死んだのか。
 シュルレアリスムは過去の遺産か。


 ゲームは単なるコンテンツとして消費されるメディア・アートではない。
 ヴァルター・ベンヤミンが論じた「複製技術時代の芸術」という概念の希望に近い。
 B・クルーヴァーを中心として、R・ラウシェンバーグ、R・ホイットマンらによって結成された「Experiments in Art and Technology」の科学と芸術の融合実験に敬意を表して、飯田和敏のゲーム作品がまさにその結実の証明であったとしたい。
 ホイジンガが定義した「遊び」が、芸術と科学の出発点という意味において、テレビ・ゲームが資本主義とテクノロジーを横断する鍵であることは間違いなく、その結実が飯田和敏のようなゲーム・クリエイターを生んだ背景だからだ。

 その上での『芸術人類学』(2006)。
 このあまりにも美しいテーゼは、人類学者・中沢新一が多摩美術大学にて掲げたものであるが、今こそ、その思想が蘇るべき時代だ。

 中川大地はカイヨワを便宜上踏襲するとし、「すなわち、スポーツやテーブルゲームのようにルールに基づき技能によって勝敗を競う〈競争〉、サイコロ遊びやクジ引きのように確率的現象に委ねて勝敗を分ける〈運〉、ごっこ遊びや演劇のように虚偽的な約束事に基づいて何かを真似する〈模倣〉、ブランコや舞踏のように身体体験の爽快感やスリルを楽しむ〈眩暈〉の四つの要素を組み合わせとして、人類の遊びの理論を試みようとする」(註1)とした。

 だが、飯田和敏の『アクアノートの休日』はそのような批評では決して読み解けない。
 そこに属さない遊戯の超越の闊達性が、彼の作品にはあるからだ。ゲーム性がないゲームをつくるというのは犯罪行為ではないのか、という葛藤が飯田にはあったが、敢えてそのベクトルに舵を切った。

 九十年代モダン・アート界において、彼の作品が如何に重要性を持っていたのか、余りにも論評が少なすぎる現実に対し、再評価が確実に必要である。それによってこそ未来のゲームが見えてくるのではないのだろうか。


1.
 まずはメディア・アートの簡単な創世記と、そこから見いだせる飯田和敏の作風について考えてみたい。
 1973年に行われた日本初の国際的コンピュータ・アート展「サイバネティック・アートリップ展」においてケン・ノウルトン、フリーダー・ネイク、マンフレッド・メイクといった海外作家、及び川野洋、出川栄一、中島義作、田中士郎といった「CTGグループ」の観せた作品が、今日の日本の3Dゲームの原点にあることは間違いない。
 発表された成長する樹木たちのシミュレーションは、「環境ゲーム」の出発点である。

 特に重要なのは、マイロン・クルーガーが発表したインタラクティブ・アートの伝説の作品、『センソラマ』である。
 それまではインターフェイスとアルゴリズムの問題で困難であった、五感に訴えるゲームをクルーガーは提示してみせた。これは現在のヴァーチャル・リアリティー(VR)の原点であるし、これからのメタバースの起点である。
 観客は椅子に座り、五感でのグラフィックス体験を可能としている。四輪駆動者に乗り、バーを覗き、ヘリコプターで空中散歩まで可能であった。後にインタラクティブ・アートと名称を与えられるこのジャンルは、常に人間の身体と科学技術を、芸術により相互関係を持たせようとする意識へのアプローチの試みであった。

 この大きな運動がPlayStation、セガサターン、Nintendo 64で家庭に爆発的に普及した3Dゲームの大きな起点である。
 『センソラマ』で行われている実験は、まさに飯田和敏が表現しようとするゲーム・スタンスと共生している。科学と芸術の曖昧領域は常に遊戯感に満ち、それが人間の無意識という原生林に働きかけ架け橋になる可能性を、七十年代のインタラクティブ・アートは、初めて人類に提示したのだ。

 飯田はその発言の中で「アート」という言葉を復唱することが多い。自分自身のゲームが『センソマラ』あるいは、メディア・アート作家インゴ・ギュンター(Ingo Günther 1957〜)、抽象画家マーク・ロスコ(Mark Rothko 1903年9月25日〜1970年2月25日)の系譜として位置づけようとしている。

 絵画作家マーク・ロコスの言葉の意味する、多くのプレイヤーの中心となる子供の芸術とは、ゲームをプレイするときに、本人の野生の精神性へと回帰している現象を意味している、と解釈できる。

「ある日、雑誌「美術手帖」でメディアアーティストのインゴ・ギュンターによる地球儀のインスタレーション作品とゲーム『シムアース』を絡めて紹介する記事を読んだ。」(註2)

 インゴ・ギュンターは1957年ドイツに産まれ1980年代後から、マスメディアに提供するジャーナリスト的な動きをメディア・アートとして展開した作家である。
 世界の経済や環境に関する様々な統計データを光る地球儀上に可視化した『ワールドプロセッサー』をコンスタントに発表し続けた。展示された環境、政治、経済、軍事などといった、物理学的、地理学的、社会学的なあらゆる範囲を網羅した地球儀のインスタレーションは、それぞれのタイトルに「オゾンホール」、「熱帯雨林の減少」といった環境問題から、「100カ国語の地球」「TVの普及率」という文化的側面、「現在紛争が起こっている地域」という政治学的見地、「ヴィトゲンシュタインの世界」という言語学の世界などという多岐に及び、抽象的な概念を表現したものであった。

 当時の「美術手帖(BT)」はこれを、『シムアース・SimEarth』(1990・マクシス)という、PC/AT互換機用のゲームとしてリリースされたシミュレーション・ゲームと絡めて論じたのである。 このゲームの前身には都市造形シミュレーション・ゲームである『シムシティ・SimCity』(1989・マクシス)があり、それをより高度に拡大し、壮大なスケールで生命体を育成する惑星造形シミュレーションにまで発展させたのが『シムアース』である。

 このゲームは大気学者、化学者であったジェームズ・ラブロックが提唱したガイア理論元に構築されている。ガイア理論では、地球があたかもひとつの生命体のように自己調節システムを備えているとしている。 例えば「ランダム惑星」というモードを選択すると「全く新しい惑星を作ります。あなたはこの惑星を選ぶことで地球がどのようにして、現在の姿になったのか知ることができます。」と表示されてゲームは始まる。
 ガイアナイザという神の視点に立ったプレイヤーはΩを使用しながら、自分の望む自然豊かな惑星。あるいは死滅した惑星へと進化させていく。
 ゲーム自体は非常に高度なプログラミングで行われるためバグも多いが、それも含めたゲーム性が評価されている。
 ギュンターと『シムアース』のファンダメンタルな共通点は、芸術とゲームにおける世界との交錯点という部分にあり、それはメディア・アートが創世記に提示した科学技術と芸術の融合ということを深く意識しているため両者は比較されたのであろう。

 まさに飯田和敏の原点は、この自律的に惑星がリアルタイムに変動していくことに手を加え、自然との調和を楽しむゲーム性だ。
 そこにはギュンターが作品で提示した環境問題、あるいは「野生の思考」のより現実的な作品化にあるのだ。
 またこの作品から多大な影響を感じさせる、彼の三部作(『アクアノート〜』『太陽のしっぽ』)とされる作品群の最後の完成系では、巨人によって地殻を変動させ、木々を移動させるNintendo64DD用ゲーム『巨人のドシン』(1999・任天堂)となり、飯田の最もの成功作となる。

 デヴィッド・オライニーが発表した『everything』(2017)における飯田和敏と、『シムアース』との総和性。
 熊に憑依し、生命を組織化し、原初的な細胞からヴァクテリアの増殖を育み、最終的にはその連鎖で宇宙までも創造していく世界構築の『everything』は、世界の全てを見つめる新しいスタイルであり、飯田の遺伝子を受け継いでいる一種のファイン・アートと言えよう。

「かつて飯田さんが商業ゲームとして制作された『アクアノートの休日』や『太陽のしっぽ』のような作品は、テクノロジーの進化やゲームの捉えられ方の変化にともない、今度はオリジナリティのある素晴らしいアート作品として評価されるのではないかと思います。」オライニーはそう語る。(註3)


2.
 本題に入ろう。
 1995年に発表された飯田和敏の海中探索ゲーム『アクアノートの休日』は、『A列車で行こう』(1985)を始めとする、新機軸のシミュレーション・ゲーム開発に定評があった「アートディンク」に所属していた彼の出世作である。
 作品は飯田を中心とするグラフィックス三人、プログラマー三人、音楽一人の七人で作られた。実質の制作期間は三ヶ月という異例の短期間で完成したとされる。

 『アクアノートの休日』は、プレイヤーが主観視点(first person)で海中を進みながら、深海生物との出会いを楽しむゲームである。深海生物との出会いは図鑑に記録され、それをコンプリートする、と言うのが大まかなゲーム性である。
 資源調査や居住実験を行う、潜水技師のまさに「休日」である。
 響き渡るのは泡のような水中音だけで、音楽はミニマルなジョン・ケージの系譜のようなチルアウト・ミュージックで、プレイヤーが可能なのはソナー音を発し、海中を探索することだけである。
 そしてゲームに「終わり」はない。つまり本来のゲームの中で目的となる、エンディングが存在しないのだ。これについては「話題作りのためだった」、と飯田は回想している。

 ゲームが始まると名前の入力が求められる。そして『まぶたの裏の世界』と一言だけのオープニングが流れ、一切のゲーム性は説明されることなく、三つのゲージを頼りに、深海を捜索することになる。
 インターフェイスの無責任さ、と言ってしまえばそれまでであるが、そのミニマリズムは、極力ゲームを「映画化」する現代の先見の妙であると言い換えることもできるであろうし、より直感的、感覚的なデバイスからのアクセスと、身体の関係性を見事に表現している。
 ゲーム内では海底遺跡や沈没船も発見されるが、そこでイヴェントが発生するような、アドヴェンチャーはない。「環境ゲーム」と呼ばれるシミュレーション・ジャンルの3Dにおける先駆けであるといえよう。

 当初の企画で目標としたのは、オープンブック9003がmackintoshで発売したテレビ画面を水槽に見立て、熱帯魚を飼育する環境ソフト『アクアゾーン』(1993)であった。
 しかしながら完成したソフトは「ゲームというよりも仮想世界の中の疑似環境の中でのインタラクションの雰囲気をメディアアート風の作品」(註4)であり、その後のPlayStation というハードの個性を決定づけた、というのが一般的な作品の評価である。

 なお、中川大地は同時期に発売された、中堅ディベロッパーによる実験性の強い『パラッパラッパー』(1996・七音社)、『I.Q』(1997・ソニー・コンピュータエンタテインメント)などと、『アクアノートの休日』を同列に並べている。
 しかしこれについては、カリスマ的ゲーム・クリエイターでありながら、若くしてこの世を去った盟友・飯野賢治と飯田和敏の対談の中で、飯野は『パラッパラッパー』等よりかは、さらに作家性の強いカテゴライズとして『Dの食卓』(1995・ワープ)、『エネミー・ゼロ』(1996・ワープ)、そして『アクアノートの休日』を同列視している。「この一連のムーブメントこそが興味深いのだ」としながらも、それ以上にその種の作家が二人以外に誕生しないことを疑問視している。
 ここでは中川のカテゴライズと、当事者であるクリエイターとの間に若干の差異があるのが興味深いところではあるが、文明史からしか、『アクアノートの休日』を評価軸に置けなかった問題が発生している。しかしながら東浩紀は、飯田和敏の『アクアノートの休日』、飯野賢治の『Dの食卓』を一種のメタゲームというよりも、ゲーム批判と評価する。


3.
 中沢新一が『ポケットモンスター(ポケモン)』(1996・ゲームフリーク)で、野生の思考を復権し、『ゼビウス』(1983・ナムコ)を神話論によって解体し、ゲームの内包するトランセンデンタルな領域を露わにした。
 同時に今までの批評家が、全く語り逃したゲーム論を凌駕する芸術性が『アクアノートの休日』にはある。
 単なるゲームではない本作は、実は恐るべきメディア・アートの系譜であるといえよう。

 この『アクアノートの休日』には多摩美術大学・油絵科出身の飯田和敏のアート・センスが遺憾無く発揮されている。
 青年期は『スター・ウォーズ』(この映画は『スペースインベーダー』を語るのに重要性があるが割愛する)に興奮しながらも、寺山修司(1935年12月10日〜1983年5月4日)を愛好していた、と回想しているが、彼のアヴァンギャルド芸術への精神性の原点はまさにここであろう。
 寺山の行なった「演劇実験室・天井桟敷」の演劇アジテーションは、飯田の作風を理解する大きな鍵である。

「寺山修司の何に引かれたかというと、土着性ね。田舎の濃い人間関係とか、人間のどろどろした部分、そういうものに対する恐れ。ちょっと嫌だなと思いつつ引かれてしまう」(註5)

のだそうだが、 これはまさに土着性に神話を見出した、レヴィ=ストロースの「野生の思考」に違いない。
 これは、飯田がもろもろの意識の断片を、たえず新しい意識の断片化に導くことができる作家であることを示す。レヴィ=ストロースのブリコラージュの規定である。 レヴィ=ストロースは、神話的思考の本性にこのブリコラージユを発見するが、それは、「雑多な要素からなり、かつたくさんあるといってもやはり限度のある材量を用いて自分の考えを表現すること」(註6)なのだ。

 ゲーム・クリエイターは、ハードスペックと格闘しながらアルゴリズムを計算しプログラミングを行い、それに見合ったグラフィックエンジンを開発し、ありとあらゆる問題をコンシューマーの限界性能の中に落とし込んでいく。 これは実にアート的なブリコラージュである。
 そうだとすれば、それは同時に神話的思考と同様なのである。
 丁度プレイヤーがソナーを送ると、魚たちが何かしらのアクションを示すモーションを設計した飯田の野生への敬愛と共存を示す、アクアノート(潜水技師)という職業の本質へのアプローチに他ならない。

 日比野克彦がスターだった時代、反骨精神でファイン・アートに目覚めた飯田和敏は、コンピュータアートの聡明期に芸術活動を開始している。

「大学に大量のコンピューターが導入された。で、油絵はほどほどにして、ペイントソフトを使って絵を描き始めた。キャンバスサイズの制限がないこと、まっすぐな線や正確な円が描けること、絵の具が乾くのを待つという工程がまったくないことなどに驚き、すぐに夢中になった。」(註7)

 米アップル社が開発したホーム・コンピュータ、「MacintoshⅡ」が大量導入されたのである。Macペイントによる本格的な「パソコンで絵を描くことが可能」という現代では当たり前のテクノロジーの誕生に、飯田は衝撃を受ける。
 特に1987年に発売された8bitマシンであるPCエンジンに触れた飯田は、ハドソンからゲームの移植が多かったため、拡張可能なコンピュータというメーカー側の構想よりは、一種のハドソンのゲーム機としての側面が強かったこのマシンとの邂逅に感動する。
 まだ一般的にはコンピューターと絵画表現とコンピュータとが別の領域にあった時代、彼に両者の相似の抵抗感を覚えなかったのは、『スペースインベーダー』(1987・タイトー)ブームの「事件」の洗礼を受けていた為であろう。 『スペースインベーダー』から始まったゲームセンター・ブームと、その到達点にある『ゼビウス』には、それまでは現存しなかったSF的神話思考と、抽象芸術性が内包されているからだ。

 また、この「事件」に立ち会った人物としては、『ポケモン』の生みの親であり、伝説的なミニコミ誌、『ゲームフリーク』の出版者である田尻智と軸を一としている点は興味深い。田尻もまたマイコンブームの中、青春時代を過ごしていく。
 中沢新一はフロイトの「死の欲動」を使い、このゲームの遊戯性に潜む没入性について説明する。そして田尻はまさにそれをプログレスさせた『ポケモン』を誕生させるが、飯田は全く別種の意味での無意識の宇宙の構造化から『アクアノートの休日』を世に生み出すことになる。 奇しくも同時期に発売された『ポケモン』の中にも、マルセル・モースの贈与論的な交換による図鑑制作の要素が、メインパートとして組み込まれているのは、クリエイターとしての創造力が同じ方向を向いていた可能性を示す。

 『アクアノートの休日』には『ポケモン』のようなロール・プレイング性や、中沢新一の指摘するレヴィ=ストロースのトーテミズムと、江戸時代の博物学化としての楽しみに重点を置くユーザーはない。(註8)
 ゲームらしい冒険とはまるで無縁の、ただただ目的もなく深海をさまよう優雅な、まるで「休日」らしい没入感を持った能動的なシステムにゲーム性を発見するユーザーが多く、それ故にカルト的な人気を博したといえよう。
 このゲームシステムは現在主流のオープンワールド・ゲームの先駆けである、と考えても過言ではないであろう。終わりのないゲーム性に対して一般性を持たなかった当時のゲーム業界に対し、

「PlayStationの最大の特徴である3D空間で、静かに海底を散策する"だけ"のゲームを作る。ここまではスムーズに決まった。『作ろう作ろう』と主張していた僕が自然にディレクターを担当することになって、さらに『ゴールとルールが存在しない』とコンセプトを過激な方面に強化した。」(註9)

と、回想する飯田の発言から分かる通り、過剰にユーザーに遊戯性を要求し依存する現代ゲームというポピュラリティに対して、当時はそれが一般的ではなかったであろうことを、一種の危惧として本人も認めている。
 しかしながら、結果としてそれが自由と言う意味でのファイン・アート性を、極めて高い次元で維持する結果に至った。
 ここで中川大地の指摘するカイヨワ的な「遊戯」の思考プロセスとは、飯田は別のところ向かおうとする。

 例えば、ドリームキャストの『シェンムー』(1999・SEGA)は、後に「箱庭ゲー」と呼ばれる、オープンワールド・ゲームの先駆者であり、後にブロックバスター・ゲームとなるロックスター・ゲームスの看板商品『Grand Theft Auto』シリーズにも多大な影響を与える。
 しかしながら飯田のコンセプトはあくまで、ゲームの複雑で濃密な物語に頼った箱庭の遊戯性というよりは、パフォーマンス行為を再帰的に映し出すメディアとしてヴィデオを使用した、ヴィデオ・アートの世界に属する。それはほとんど九十年代コンピュータの普及により、爆発的に進歩を遂げるジャンルの一環であったと考えて良いであろう。


4.
 『アクアノートの休日』は、飯田和敏が「マーク・ロコス的なゲームを創る」と言う大胆なコンセプトを本作に掲げたことに大きく由来し、まさにゲームの芸術との理想的な結実を語るものとなる。
 マーク・ロスコ(Mark Rothko 1903年9月25日〜1970年2月25日)は、ロシア系ユダヤ人のアメリカの画家で、抽象芸術表現の中心とされる。 しかしながらロコスは自身の作品が、どこかに属することを認めない。
 これは飯田のスタンスと共通する。
 またロスコは芸術により神話的思想、イマージュやシンボル、そこで行われる儀式などで、無意識のエネルギーが爆発的に解放される可能性について信じていた。 ロスコは自らを神話創作者と呼ぶ。
 1949年に出版されたエッセイ『The Romantics Were Prompted』でロスコは、「古代の人は、怪物や神や半神半人のハイブリッド集団を創造する必要があった。神が死んだ近代においてはファシズムや共産主義の隙間にそのような神話的価値観を見出した。怪物や神々なしに人は物語を作ることはできないのだ。」と書いている。(註10)
 まるでレヴィ=ストロース が追い求めてきた、神話理論の追求を行なったのがロスコであるかの様である。

「僕はロスコの絵画からの影響を説明した。薄ぼんやりとした空間の中で人は一生懸命目を凝らし、あるいは視覚以外の感覚で『何か』を見てしまうことがある。」(註11)

と、飯田は語る。それは神話世界におけるイマージュの解放を意味する。
 ゲームの中の深海には海底、岩、海藻、泳ぐ魚、時にはただの青海原しか広がらない。情報量は極限にまでミニマルに設計されている。当時のグラフィック・エンジンでは水の描写に限界があったのも事実であり、その淡く単一的な平面状の油絵のようなグラデーションが、逆に『No. 61 (Rust and Blue) 』(1953)の絵画の中、つまりロコスの神話に没入していくような相乗効果を生むこととなる。
 結果プレイヤーはただ静寂を楽しみ、ソナーを奏で、その中でこの世には顕現しない何かを発見しようと試みることとなる。その没入の意味するところは、静寂とはまさにうねりを持っており、そこを探索することが人間存在の運動性への豊かな神話的生成力への流れである。

「ロスコの部屋で感じる静寂さのなかに存在するうねりをなんとかゲームにすることが出来ないか、ということを茫漠と考えるようになっていた。」(註11)

のがこのゲームの完成形である。
 時にロコスは前述した通り、精神分析、特にユングに造形のあったとされる。ロコスの芸術思想に、無意識への領域への関心があったことは言うまでもないであろう。
 それは飯田も同じであり、この深海のイマージュは、まさに人間の無意識の表現に他ならない。まさにゲームの冒頭でたった一言示される『まぶたの裏』なのである。
 神話、宗教、夢、幻想、芸術……ですらエディプス化されてしまうと提唱したフロイトの真意は、神と資本とクリエイターの三角形に自己を置くということだ。家族とゲームの両者の関係性、つまりゲームは危険、と訴える古き思想はいうまでもないが、ゲームが常に資本主義の傘下にあることを示す。  
 エディプス、資本主義、三角型、ファロス、去勢、これらは型式を与えられる前から存在していたものである。それらを三角形の型式へと埋め込んだのは、精神分析に他ならないが、それを抑圧のツールとしてきた現実も家庭には存在する。
 ドゥルーズ=ガタリの言葉を借りれば「十九世紀の偉大な社会主義者ユートピアは、理想的モデルとしてではなく、集団的幻想として、すなわち欲望を現実に生産する代行者として作用し、現状の社会野の脱備給「脱機構」を可能にして、欲望それ自身を革命的機構にするものにほかならない」(註13)

 飯田和敏がゲームに馳せた想い。それはエディプスから、または切っても切れない資本の論理から脱機構し、内在する欲望を外へと発散し、それが遊牧的な運動を行うフィールドを形成する事だっただろう。

「一見すると図像は何も描かれていない。絵の具が何層にもわたってキャンバスに塗りこまれている。しばらく観続けていると筆跡や色ムラが現れて絵が動き出す。調子があわないと何も起こらないこともある。瞑想的な体験を促す作品だ。」(註14)

 この飯田の発言はそのまま『アクアノートの休日』が我々に及ぼす、一種のメディテーション的な体験と同じである。ただただ青い世界を動き回る、派手なストーリーもエフェクトも存在しない。
 ロスコの作品を動き回るという、つまりは抽象絵画の、無意識の奥へ奥へ進んでいく冒険が可能だという、恐るべき神秘性がある。魚と出会っても捕獲する戦闘が始まるわけでもない。ソナーが少々彼らに及ぼす影響を楽しむだけだ。これは宗教と芸術の行う無意識へのアプローチと差異はない。


5.
 飯田和敏はこのゲームを創るにあたり、マックス・エルンスト(Max Ernst 1891年4月2日〜1976年4月1日)、サルバドール・ダリ(Salvador Dalí 1904年5月11日〜1989年1月23日)、マン・レイ(Man Ray 1890年8月27日〜1976年11月18日)、アンドレ・ブルトン(André Breton 1896年2月19日〜1966年9月28日)といったシュルレアリスムの画家たちの事も強く意識していた。

「『現実VS虚構』というテーマにおいて、モダンアートの重要なムーブメント『レディメイド』、『ダダ』、『シュルレアリスム』、『ポップアート』は1つの線で繋がっている。僕は、その先端にゲームを配置しようと考えていた。」(註15)

という飯田の試みは、芸術ムーブメントの先に、ゲーム・メディアを置くことである。
 あまりにも斬新で奇抜のように思えるが、結論から言えば、現実はファイン・アートとして、あるいは新しいゲーム・アートとして、やっと現代の批評はそこに追いついたわけなのである。
 前述した通り、ダリの影響は飯田作品において強く感じることができる。表象としての映像において、ダリとルイス・ブニュエルの共作『アンダルシアの犬』(1933)が、かの有名な「狂っていない狂人(a not-mad made)」というテーゼにおいて光り輝くのと同時に、同種の試みが、『アクアノートの休日』の永久不滅に海を彷徨わなければならない狂気、として生きているのは確かだ。
 それはエルンストの「形ならざるものから形へ」という言葉が、飯田の語る、

「コンセプチュアルなアートなんです。絵具とキャンバスを使わないで美術を展開していくという方法。コンピューターの中に見える映像というのは「物」じゃないからね。「物」以前のイリュージョンだから。コンセプトを純化してけばいくほど「物」に頼っちゃいけないとか、「物」から派生するイメージに頼っちゃいけない。そういうゲームを思っていて、(中略)海があった。それが『アクアノート』の原型なのかな。」(註16)

というのは全く同じことを示す。
 ここで飯田の使う「海」=「無意識」。そして「イリュージョン」=「無意識の具現化」という言葉は、無意識から意識への、無意味から意味への浮上という、シュルレアリスムの定義にまさに通じる。
 そういったシュルレアリスム運動のコンピュータ上での再現が、まさに飯田の目的だったのだ。
 同時進行のラカンとダリの偏執狂的現象と、ブルトンの「なまの幻視体験、意味を満載した記憶の捏造、偏執狂のカルテをでっち上げる超-主観的な不法解釈、といったものが、彼の作品の第一素材を提供する」(註17)というのは、まさに「アクアノート体験」に他ならない。
 飯田が1つの線による実験で行なった偉業は、ゲームには芸術性の可能性がある、という確信だ。

 例えば彼らシュルレアリスとの運動では、身体的な性質を超えた領域で次から次へと姿を変えていくイマージュの中で、それは自ずと無意識化へと働き掛ける。
 そのプロセスで自然との接続、欲望の解放によって快楽が発生する。人間たちの想像力による精神的跳躍を促すこと。それはユングの集合的無意識への接触に近しい。このある種の神話的無意識とも言える野生の時代にあった、古代人の共同体的な無意識にアプローチする為にチベット密教も、ヨーガの修行によってそこに遡れることを目的としている。

 1995年、オウム真理教と地下鉄サリン事件の時代に、『アクアノートの休日』はコインの裏表になっているのだ。

 まるで胎児の世界を再現したかのような世界を漂う「瞑想ゲーム」。 これが『アクアノートの休日』の本質的な面白さなのである。


6.
 当時の開発において飯田和敏は、PlayStationという新時代のコンシューマーの登場により、2Dから3Dへの移行の苦労を認めている。
 飯田はグラフィッカーの経験値をゼロに戻す必要性があった。
 自社開発のツールも使えず、小規模企業はワークステーションも組めなかった。そのために「まだ3Dゲームの作り方は手探りで、グラフィッカーとプログラマーの領分はあいまいだった。これがいい効果を生むことになる。」(註18)
 このゲーム・デザイナーの模索期間において、PlayStationというコンシューマーのスペックにおける、演算能力の限界で自社開発が可能な限界を逆手に取ったことにより、現在の巨大プロジェクトと完全分業化されたゲーム業界の中では考えられないほど、実験的な作品が発表された。
 その背景には、クリエイター・飯田和敏のある種のカオティックな自由度と想像力、アート性を内包することへの「許され」があったのは間違いない。今では一蹴される企画が、PlayStation あるいは3D ゲーム聡明期にだからこそ、飯田の才能を世に生み出したのである。

 そんな日々進化するゲーム業界の中、PlayStation 聡明期、グラフィック面でのハード的な、特に水の描写の限界を感じる。フレームレートも高くなく、ジャギーも見える海の描写は、現代のソーシャル・ゲーム以下である。  
 しかし『アクアノートの休日』は、その限定的なリアリティの表現を上手く活かすことに成功している。飯田は「それにしても、ゲームのおもしろさの質をプレイヤーの想像力に委ねるということは、かなりの冒険ではあった。」(註19)と語るが、情報過多なグラフィックのゲームが主流の世界では、この作品は産まれなかった。

 そして、飯田和敏の手を離れた後も、PlayStation『アクアノートの休日2』(1999)、PlayStation3『AQUANAUT'S HOLIDAY ~隠された記録~』(2008)と続編が二本制作されるが、オリジナルの遺伝子的なコンセプトの本質には迫れなかった。
 それは飯田和敏の、プリミティブな遊戯性を追うという文化・芸術横断のカリスマを失ったからであろう。

 ゲームは子供のものだけではない。飯田和敏の作品は常にそれを越えてきた。
 だからといって大人の欲望を発芽させ没入させるだけのシンプルな答えに還元できるものでも、またない。
 ゲームの可能性は芸術、常にこの精神とともに発展してきた。

「合言葉は『小さく作って豊かに見せる』。」(註20)

 つまりミニマルな世界が大きな神話性を持つ、ということである。
 そしてそれが芸術であり、ゲームなのだ。

7.
 これからの未来、ゲームという科学、そして芸術を融合させた飯田和敏はどこへ向かおうとするのか。
 2019年、「あいちトリエンナーレ」において、日韓関係から端を発する文化庁の助成金不交付の決定、そして日本の「表現の自由」の萎縮について様々な議論が持ち上がる中で、この問題に飯田和敏は積極的に取り組む。
 飯田のスタンスは少々他の芸術家とは一線を画す。
 この問題に対し積極的に意見を発信しているゲーム・クリエイターは、恐らく飯田だけであり、常にこの問題に対してアクティヴである。
 社会人類学者・宋基燦氏との対談の中で、文化省が韓国に対する一種の幼稚な「嫌がらせ」のツールとして芸術を利用しようとした目論見があった、と断言する。(註21)

 では、一体彼は何を定義しようとしているのか。飯田はこの問題の根本が「芸術」ではないとする。これは議員制民主主義という「構造」のゲームの問題であり、そこに内部データを不正改竄して参加するチーターとして関与する文化省、或いは安倍政権の問題を定義していたのだ。
 これは極めてゲーム・クリエイター的なポジションからの見地である。


 「ゲームとはルールメイキングの芸術である」
 そう、飯田和敏はテーゼを掲げた。


 このテーゼの元に、デリケートな日韓問題にも踏み込んでいく。
 飯田の見解では韓国の植民地問題等で、民族差別的な意見を特定の個人の集団がアジテーションし、それに同調するインターネットの見えない繋がりを生じさせ、更に政権がそこに依存している構造の問題を定義している。(註22)
 これは国家思想に対する問題定義であると同時に、その政権自体がゲーム的構造では、まさにチーターなのだと言いたいのだ。
 そもそも飯田の作風は「死」や「失敗」をルールとする、ゲームの基本的な構造とは異なり、『アクアノートの休日』以降も徹底されていく。ゴールがない、というルールが一種のファイン・アート的な魅力なのである。
 同時に、「ゲームにはゴールなどはない、全ては現実と接続されているのだ」という思想なのだ。
 ゲームはモニターの殻を破り、ゲーマーは現実に還元されると思考しているのだと彼は信じている。

 飯田の「あいちトリエンナーレ」の問題に対してのスタンスはゲーム界からのカウンターである。
 ルールを重んじるべき。
 ルールメイキングこそが全てである。

 つまりゲームという芸術における立場からの見解として、あまりにも有利すぎる国家というチーターの存在に関しては、是正されるべきものであるとするのだ。

 飯田が現在取り組んでいるコミュニティのプロジェクトには、シリアス・ゲームが含まれる。
 シリアス・ゲームとはゼロ年代から活発になったアメリカが発祥の新しいゲーム概念で、教育や医療問題などさまざまな社会問題の解決にゲームを役立てるものである。
 ゲーム・デザインやゲーム・システムをゲーム以外の物事に応用する、ゲーミフェーションの一環と捉えられ、日本でもシリアス・ゲームを専門に開発するメーカーが登場し、教育現場にも積極的に取り入れられ、学習能力の向上にゲームを応用しようとする試みである。

 この先駆けとなったのは「foldit」(2008)というワシントン大学の開発したシリアス・ゲームである。
 科学者による分子置換のM-PMVレトロウイルスプロテアーゼの結晶構造の解明が失敗に続く中、「Foldit」のプレーヤーにタンパク質構造予測を競争化し、正確なモデルを作成するようにゲームを開発した所、 驚くべきことに分子置換とそれに続く構造決定を成功させるのに十分な品質のモデルを生成することができた。その洗練された構造は、抗レトロウイルス薬の設計のために応用される。(註23)

 その他にもシリアス・ゲームは、古代エジプト文字の解読や、宇宙地図の製作もゲーム化され、スコアを競わせることに重点に置くことによって、科学技術の応用や発展に役立てている。
 ゲーマーの意識を化学研究とゲーム性の交差点に置くことにより、研究意識というよりかはどれだけのハイスコアが叩き出せるかの意識に変換することによって、恐るべき高度な研究結果を残している点が興味深い。これは従来のゲームの持つ本質である競争(アゴン)を科学との融合させることにより、より高い技術の発展に役立てる未来のゲームである。

 これは冒頭で提示した「Experiments in Art and Technology」の科学と芸術の融合実験の優雅な具体化に違いない。 飯田が参加した、総合地球環境学研究所の主催した「シリアスボードゲームジャム(SBGJ)2019」というインスタレーションによると、日本での現在のムーブメントは「静岡県が2007年に開発した避難所運営ゲーム「避難所HUG」は草分け的存在で、累計で1万5681個(2019年11月6日現在)を売り上げる隠れた大ヒット作。防災の知識や災害時の判断力が遊びながら身につくとして、自治体の研修をはじめ、幅広く活用されている。」ようである。(註24)
 前述した高度にデジタル化された「foidid」のゲームシステムから、「SBGJ」で掲げられたテーマは、

「No One Eats Alone(独りで食べてる人なんていない)」

である。
 つまりコミュニケーションを中心としたボードゲームであり、SFからヒッピー・カルチャーのムーブメントによりファンタジーへの方向転換を示した世界最初のロール・プレイング・ゲーム(RPG)である『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(1978)のようなアナロジーなテーブル・ボード・ゲームへの回帰を意味している。
 飯田の活動は人間間の密度の増加によって、ファンタジーから科学の発展や社会の問題定義へと緩やかに移行して、あくまでもゲームという娯楽の中で行えるバランスを持ったインスタレーションであったと考えられる。

 奇しくも飯田がこの活動に積極的になった同時期に、この人々の接続、「繋がる」というゲーム性をモティーフとした小島秀夫監督による『DEATH STRANDING』(2019・コジマプロダクション)が発売された。
 ここで小島監督は全く新しいゲームとして、ストランド・ゲーム(ソーシャル・ストランド・システム)と命名し、ゲーム内でユーザーが世界を構築する世界を構想しているが、これは飯田と同じベクトルを向く。
 高度なインターネットの繋がりと、アナログな繋がり以外に差違はない。

 『ディシプリン*帝国の誕生(ディシプリン)』(2009・マーベラスエンターテイメント)発表時のインタヴューで、飯田はゲーム業界を、

「かわったね、すごく。とにかくあちこちで突き当たったのが「わかりにくいのは良くない」という考え。「わかりにくい教」みたいな。」(註25)

と語る。 これは個人的な価値観でしかゲームを楽しめない人々のことを指している。

「そう、だから目の前に異物が現れると、それをわかりにくいと言って拒否してしまう。結果、それが無関心という状態を生み出しているんです。アパシー(無気力、無感動な状態)という言葉がありますが、まさにそれですよ。」(註26)

 飯田はこれを打破するために「ニコニコ動画」の人気実況プレイヤーたちと組んで、発売前に『ディシプリン』の実況プレイ動画を公開したのだ。これはまさに「繋がる」ことだ。
 そしてその本質はゲーム体験を通じて、生きることを肯定しようとすることだ。

 より社会性に密着型の飯田和敏の思想は、本質的なゲームのシステムによっての、社会構造の組織化と問題定義にあるのだが、その根底は「生きることの喜び」を訴えることなのだ。
 この様に芸術と政治、そして科学によって生み出されたゲームが密接に結合した地点に、現在の飯田和敏は身を置いている。

 その遺伝子は芸術や科学、それらのゲームとの結実という域を超えて、作品とクリエイターの持つ神話性が政治体制の是非を問う。
 ゲームという芸術・科学技術が、世界を変容するという大胆かつ異例の可能性を秘めていること彼は確信している。


 そして、その先に飯田和敏が見据えるのは「生きること」に他ならない。


 飯田和敏の提示した未来のゲームは、社会構造や自然社会を読み解く鍵となる。
 そしてまた再び大きな物語を語り出す鍵そのものなのである。


【引用】
(1)(4)『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』中川大地 (早川書房)
(2)【飯田和敏連載】「ゲームは世界で最も影響力を持つ「哲学」かもしれない。ゲームと 遊びと哲学の座談会(前編)」http://boundbaw.com/inter-scope/articles/14
(5)(15)『スーパーヒットゲーム学』飯野賢治 (扶桑社)
(6)『野生の思考』クロード・レヴィ=ストロース (みすず書房)
(7)(9)(11)(12)(14)(15)(16)(18)【飯田和敏連載】「『アクアノートの休日』の海底は"コーヒーの染み"から生まれた―若きゲームデザイナーが現代美術史100年を背負って挑んだ冒険」 https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/170925
(8)『ポケットの中の野生 ポケモンと子供』中沢新一 (新潮文庫)
(10)『ロスコ 芸術家のリアリティ―美術論集』 マーク・ロスコ (みすず書房)
(13)『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』ジル・ドゥルーズ  フェリックス・ガタリ(河出文庫)
(17)『シュルレアリスムと絵画』アンドレ・ブルトン (人文書院)
(19)(20)【飯田和敏連載「アクアノートの休日」制作秘話】「畏れつつ請けた週刊少年マガジン、そしてロードス島戦記などの仕事が僕に与えた影響…「小さく作って豊かに見せる」」https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/170822
(21)(22)「京都で #国会パブリックビューイング ―日韓の未来について考える―」 https://iwj.co.jp/wj/open/archives/461383
(23)「nature structure & molecules biology [Crystal structure of a monomeric retroviral protease solved by protein folding game players]」 https://www.nature.com/articles/nsmb.2119
(24)「ゲームの力で社会の課題を解決する~総合地球環境学研究所で開催されたシリアスボードゲームジャムの可能性」 https://cgworld.jp/feature/201911-boardgame.html
(25)(26)【飯田和敏氏インタビュー】敵は巨大な無関心――『ディシプリン』に込められた、クリエイターの魂とは
https://www.sbbit.jp/article/cont1/20230

【参考文献】
『シュルレアリスムのアメリカ』谷川渥 (みすず書房)
『メディア・アート創世記科学と芸術の出会い』坂根厳夫 (工作舎)
『カイエ・ソバージュ(I〜Ⅴ)』中沢新一(講談社メチエ)
『雪片曲線論 』中沢新一(中公文庫)

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