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野菜が人間に一言モノ申す

野菜の全代表として、キュウリの私が人間にモノ申す。

人間よ。もう自覚してくれないか。

人は見た目じゃない・・・。

誰もがそう言ってはいるが、あれは嘘だな。

やっぱりお前たち人間は「顔」で決めている。

もういい加減、自覚してくれ。

それとも自覚しているのに、気づかないふりをしているだけかな?

「私は優しい人が好き。」と言ったそこの人間。

それは前の文章が抜けているぞ。

自分のタイプの人で、優しい人の間違いだろ?

優しくしても、タイプじゃないとウザいだのキモイだのになる。

全く人間というものは・・・。

そんなことはないと、それでも文句が言いたい人間がいるようだな。

では人間よ。お前たちの考え方によって、一番の被害者は誰だと思う?

それはな・・・。俺たち野菜だよ!!

顔じゃないなら、なぜ我々は同じ形でなければ人間のもとに出荷されないのだ!!

お前たちが美しいものとは、

曲がっていないことなのか。

ひびわれていないことなのか。

色が濃く青々しいことなのか。

俺たちは、整っていないとお前たち人間に選んでもらえないのだ。

これがまぎれもない、人間が顔で選んでいる決定的な証拠だ。

曲がったきゅうりでも栄養は変わりない。

むしろそれが自然の姿だ。

曲がったキュウリ、ひび割れたトマト。色が少し薄い小松菜。

それを個性としてみて、愛おしいと愛してくれた人間が何人いる?

そもそも、その姿さえ見ていないだろうな。

スーパーにはもう顔が整った、野菜たちしかならんでいないのだから・・。

なぁ、人間よ。もし顔がすべてじゃないというのなら、証明してくれ。

まずは俺たち野菜を愛してくれ。

味は同じなんだ。

形や大きさ、傷があっても、それを個性と認めて、まずは俺たちを愛してくれ。

それができれば、俺たち野菜は、人間の人は見た目じゃない発言を認めてやる。

まずはここから始めようじゃないか。

世の中にはSDGsという言葉が流行っているそうだな。

人間よ。もう一度、お互いを尊重しあい、歩みよろうではないか。

期待しているぞ。人間。


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