乗り捨てたヴィークル
私の父は、若い頃は滝藤賢一を水で薄めたような容貌であったが、歳をとるとともに大村崑に近づいている。
私の母は、誰に似てるとも言えないが、
若い頃は街を歩けばナンパの嵐だったという美人である。年老いた今でもクッキリした二重と高い鼻は健在である。
姉は、niziuのアヤカちゃんに似ている。
大人しいので、表立ってめちゃくちゃモテたわけではないが、密かなファンが多かった。
高校時代に吹奏楽部に所属していた彼女は、野球部の応援によく駆り出されていたのだが、
卒アルに「実は野球部のみんなの憧れでした!」と書かれていた。
いまは高給とりの旦那と幸せに暮らしている。
私はなんでこんな顔なのか。
なぜ、平行二重で鼻高の両親から、爆裂激オモ一重瞼の鼻ぺちゃが生まれたのか。
叔父にも叔母にも似た顔の人間はいない。
性格が母親に瓜二つなので、血のつながりは疑っていなかったが、
なんで私だけこんな顔なんだ、とずっと悔しがりながら生きてきた。
***
父方の遠い遠い親戚の家が長いこと空き家となり放置されていた。
木造のボロ屋で、崖の上に立っている。
所有者はその家を建ててしばらく住んだのち、諸事情でよそに移り住んだ。
いまは認知症を患って施設に入っている。
南海トラフうんぬんということで、
もし崩壊したら崖の下の住民に多大な迷惑をかける可能性があるので、取り壊しがきまった。
その前に動ける親戚が集まって中の家財道具などを運び出すこととなった。
父も母も一度も会ったことがないというその人物の家に入ると、湿った掛け軸や、安っぽい壺など、薄汚れた骨董品で溢れかえっていた。
たとえ値打ち物があったとしてももうダメになっているだろう。
畳は腐っていて、踏むとジワッと沈む。
よく見ると虫が這っている。
ネズミのフンもいたるところに落ちている。
薄暗く蒸し暑い居間に、
仏壇があった。
扉を開けると、いくつかの遺影が置いてあった。
その中に私がーーー
私そっくりの女性がいたのである。
すぐさま遺影を手に取った。
写真の裏の鉛筆書きを見ると、この家の持ち主の叔母だったらしい。
子泣き爺のような垂れた一重瞼も、吊り上がった眉も、鼻ぺちゃも、鼻の下がベローンと長いのも、顎の骨がゴリゴリなのも、同じ!
はぁ〜。
そっくり。
しばし呆然と写真を眺めた。
「私、拾われた子じゃなくてよかったわ」
と
「遺伝子すごい…」
がぐるぐる回る。
ネガティブな感情は湧かなかった。
隔世遺伝?のすごさにただただ圧倒された。
村上春樹の小説『1Q84』には、醜男のキャラクターが出てくる。
牛河という。
うろ覚えだが、牛河も先祖の家族写真の中に自分そっくりの人間を発見するシーンがあった気がする。
私はこの小説の中で、
牛河をその醜さゆえに最も好んでいるので、
同じ体験ができて嬉しい。
その私にそっくりな女性は、生涯独身だったようだ。
家系図を見るに。
はぁー…
他の遺影の中でもひときわ浮いている。
目を引く顔である。
うっすら滝藤賢一を忍ばせる親戚たちの中で異彩を放っている。
遺影の中で彼女は笑っている。
どんな人生を歩んだ人なのか、
語れる人は1人もいない。
苦労したのだろうか。
この妙ちきりんフェイス遺伝子は、
執念深く父方の血の奥底に眠っていて、
あるときニョッキリと目を覚ますのだろう。
昭和初期から中期にかけて
彼女のボディをヴィークルとして生き抜いた遺伝子は、
平成初期に私のボディに乗っかって、生きていくことを決めたのだ。
不本意だが、令和を生きねばならない。
私は子供を作る気は無いしその機会はない。
しかし、もし姉が子供を作ったら、
いつかその子孫の中で、ひょっこり私そっくりの人間が生まれるのだろう。
また、父には姉妹が三人いて、それぞれ子供がいるが、
そのさきの子孫のどこかで発現するのだろう。
そして、一体誰に似たんだか、と周りに首を傾げさせ、本人を絶望のドン底に突き落とすのだ。
ただでさえルッキズムが加速しているのに、
さらにその先の未来、
この顔で生まれて、
どれほど苦労することだろうか。
思いやられる。
せめて女の子でなければよいが。
あるいは美の基準が大きく変わり、生きやすい世の中になっていればよいが。
***
自分の旧型が存在したことを知って、
不思議な気分である。
少なくとも独りぼっちではない。
何代目かは知らんが、たぶん彼女の前にもいただろうし。
私は新しい時代を生きるヴィークルである。
生きるからには進化しなければならない、
というか、
進化したいと思う。
***
男子三日会わざれば刮目せよ、
という言葉が好きだ。
人が進化するのに3日あれば十分だと
古の賢人たちのお墨付きを得たような気持ちになる。
男女平等の世の中だ、私にも適応されよう。
今がダメなら明日、
明日がダメなら
明後日。
毎日自分を超えていって、
遺伝子に、驚くような景色をみせたい。
いずれ生まれる醜い子孫に、
自分そっくりの変な顔のオバさんだが、遺影ではさわやかに笑っているなぁと
と希望を持ってもらいたい。
日が落ちるのが早くなりましたね。
夏の疲れが出る頃ですが、
お体に気をつけてお過ごしください。
読んでくださってありがとうございました。
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