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ロクディムALIVE_002〜多くを語らず中心にいる男・宍戸勇介〜

インプロ(即興芝居)は地元の友達とのやり取りそのものだった

即興(インプロ)が役者人生の最初のレッスンだった。
終わったあとの印象を覚えている。
「え?これでええの?」だった。
鬼ごっこしたり、たくさんのゲームをやった。
どれも楽しい。
東京にきて「鬼ごっこ」することに面食らってもいた。
ただ、「相手の言ったことに乗る」ことになんの違和感もなかった。

「なんや。地元の友達とやってたことやん」

関西は突っ込み文化。なんでも突っ込む。というのは言い過ぎではない。
ただ、ワタリのまわりは、いやワタリだけは違った。

「ワタリはどんな無茶ぶりでも乗る」

という環境にあった。なぜかわからないけど、相手のやつに乗ることが面白いとどこかのタイミングで思ったんだと思う。

「たけごろう〜!(ムツゴロウさんの感じで)」と言われたら速攻でムツゴロウさんの真似をする。
「ストリッパータケコ」というキャラクターが生まれ、部室で月明かりのみでスリップを繰り広げたりもした。(部活はバレーボール部)
相手が言ったことをとことんやる。それが相手を喜ばせることにつながるということを感覚でやっていた。

また「一度スベったとしても諦めない。とにかくしつこく食らいつく」というのもそこで培われた。その日、スベり続けても次の日にまた同じネタをやる。「え・・昨日の?おまえ狂ってんな!(笑)」と笑ったら勝ち。それくらいしつこかった。

それが即興で大事とされている「相手にのる」「1つのことにこだわる」ということと似てて、なんの違和感もなく、というか水を得た魚のごとし、即興が楽しくて仕方なかった。

ただ、それが極めて特殊なんだということを周りをみて知る。
怖がっている人が多かった。

そんなんだから、すぐに即興のレッスンのとき、一目置かれるようになった。
今井純さんも皆の前でデモンストレーションする時に必ずといっていいほどワタリを指名していた。それが嬉しかった。満々の自己顕示欲が満たされる快感。18歳のワタリはどんなドヤ顔だったんだろう。今思うと恥ずかしい。

はじめて観たインプロショー

一目置かれるようになったからか、あるとき即興のレッスンが終わって、今井純さんと2人で駅まで歩いているときに

「あ、そうだ。これからインプロのライブが渋谷であってね。観に行くんだけど・・・くる?」

と誘われた。

「いいんですか?!いきます!」と即答。

インプロのショーがある???
まったく知らない世界の扉。ワタリにとってはじめての即興のショー。
また渋谷でやるなんて。当時の渋谷はまだまだワタリにとって「ハチ公!」だし「センター街!」だし「ぱぱぱぱパルコ!」だった。キラキラしていた。夜の渋谷でショーを観る。もう大人。

今井純氏に誘われたということもあって、もうワクワクがとまらない。他の皆を出し抜いている感もあったんだと思う。

「あ〜でもタケシ、メソッドなんだよね〜。ロバート・デ・ニーロとかアル・パチーノ好きなんだよね?」

って聞かれたのをなぜか覚えている。たしかに大好きな俳優。それをことあるごとに純さんに言っていたんだと思う。だから「タケシはメソッド役者が好き」という印象を持たれたのかもしれない。

それがどういう意味なのかもわからずとにかく声と表情の感じであんまり良いふうに言われていないことがわかったので「いや〜そうでもないですけどね〜ふふふ」って返した気がする。

またインプロ出身の俳優っていうイメージもそのころなかった。後に知っていくジム・キャリーや、ロビン・ウィリアムズ、エディ・マーフィ、ダン・エイクロイドやジョン・ベルーシはワタリにとっても大スターとなっていく。

渋谷の街を歩いてライブハウスに入っていく。
そこで「あ〜純さん!」と後ろで声をかけられる。
いまでも即興やったりクラウンをしているIさん。「とんでもなく面白いおじさんがきた!やべえ!一瞬でもスキをみせたらやられる!」と身構えたことをおぼえている。

はじめてみたインプロショーは、終わったあとに純さんが「ごめんね〜こんなの見せちゃって〜」というほどの出来だった。たしかに面白い!ってならなかった。

ただ、こういうのもあるんだ〜っていう感じ。もしここでとんでもなく面白いライブだったら、もっと早く即興にのめり込んだのかもしれない。ワタリが即興にのめり込むのは2年後。それはまた別の話し。

おわって、純さんと純さんの仲間と話しをするのがとんでもなく刺激的で楽しかった。

もう1人の目立つ存在「宍戸勇介」

そんなこともあり、わりかしクラスで目立つようになった。また稽古場と家が近いのもあってあっという間にワタリのアパートはたまり場になった。いわゆる人気者のポジションだったように思う。年上の人も多く、可愛がられていたのかもしれない。

しかし、そんな中、別ベクトルで人気者だったのが「宍戸勇介」だ。
北海道出身。顔は昭和の男前。静かに佇む。喋らない。ワタリと正反対。まったく喋らない。

レッスンが終わって、近くのレストランで皆で喋っている時も、基本喋らない。でも「ゆうすけ、いいよね〜」と話題になる。

「喋らなければ負けだよ」という古舘伊知郎さんの本を買ってむさぼり読むくらいワタリは喋りによってなんとか道を切り開こうとしていた。だから余計にそのころ喋っていたんだとおもう。一度、喋り過ぎて鼻血がでたことがある。脳が「限界!」って言ってる。それを実感したくらい喋った。

しかし、この宍戸勇介という男は、ほとんど喋らずに皆の人気をかっさらっていた。

東京にきて、最初の嫉妬の対象「宍戸勇介」。

「え?なんで?俺が2万語くらい1日で喋ってて、ゆうすけは『うん』だけ。2語。なのに同じ効果を得てる!ずるい!」

なんて本人に言ったことがある。でもその時もただ静かに笑っていた。

そんなんだから、当時のワタリは「面白い人だけど、どう関わっていいか分からない」という感じになっていて、実際に話すことがあまりなかったように思う。あまり記憶がない。ただ一度、皆でワタリのアパートで遊んだときに、かなりな悪ふざけを一緒にした記憶がある。その頃の写真もある。
不思議なことにそのときだって、ユウスケが喋っている記憶がない。お兄さんが「のっぽさん」って言われたら普通に信じると思う。

最近のロクディムの企画でロクディムメンバー2人で語り合う「はなしの時間」というのをYoutubeで配信した。そのときに宍戸勇介と話しして、当時のワタリの印象を聞くことができた。

「後ろからタケシを見てて、そのうなじだけで笑えるってすごいなって思っていたよ」

上京してから一番付き合いが長い男・宍戸勇介。
しかし、2人の思い出はそんなに多くない(笑)

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アパートで遊んだ唯一の写真。左、渡猛。右、宍戸勇介。

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