「これまでの生い立ちと現状と目標」

【初めに】:はじめまして、綿貫岬です。1993年生まれの28歳。法学部は留年と浪人をして25歳で卒業し現在就職活動中の有名大学学際系大学院マスターオーバーして数年です。教育関係のアルバイトをしながら生きています。(実質フリーター笑)今は同期が次々と有名企業に内定を貰う中、同級生がちょこちょこ結婚して家庭を持ち始めているのに日々焦っています。そんな僕の生い立ちをこのnoteに綴ります。


僕には10代~20代前半にかけて自分の人生を生きることを諦めた5年間が存在します。

【幼少期】:ご両親は地方公務員と大手企業勤務(小売り)・叔母が農家をしています。比較的安定した生活ができ自然豊かで平和な家系に長男として誕生した。生まれは群馬県沼田市 育ちは千葉県印西市。

5人家族で父・母・弟・叔母・の構成です。小さい頃は、歩き始めるのは1才3か月頃、興味のあるものは、走っていき気が付いたらどっかに消えていなくなり好き勝手気ままな幼少期を過ごしました。親からすると手が掛かるタイプ。それまでは、日常的な単語でしか喋れなかったのが他の人よりもしゃべるのが遅く3歳の誕生日になったとたん機関銃のごとくしゃべるようになった。


【小学校】:市内の地元の当時全校生徒70人の小学校に入学し、歳の差を感じる事無く、仲良く過ごしていた。僕は、先輩・後輩の受けがよく分け隔てなく接する事により世話好きで先生の授業の癖や特徴をまねる事によりクラスの人気になった。当時めざましテレビの企画で体操にも出演し、習字でも市内では受賞、歯の定期健診で歯科医院長にも推薦され日本歯科医師学会への招待をされ授業を一日免除した事が大きな話題となり全校生徒・教員からも祝福された記憶が今でも残っている。最高の人生なのではないのかなと思っていた。遊ぶのは好きでも友達が塾・習い事があるので高学年になると中々遊べなかった。これからが、人生のどん底の始まりでもある。


【中学校】:小学校卒業後は、地域や兄弟が行っている中学校に進学する事になり今まで関わっていた人が別々になってしまった。つまり、転校者扱となりまったくゼロな状態から人間関係を作らなきゃない状態となった。その環境になじめない事もあり先生の言う事も聞かず・やる事もしないで後で苦しくなり辛かった。そこで、助けてくれたのがO君とN君であった。違う地域から来た人をサッカー部や野球部の連中に片端からカツアゲされた事も経験にある。ここからノリや体育会系がトラウマになってしまう事になる。この時に部活動を始めてテニスもできなくなってしまい辞めてしまった。要するに、先生・友達との協力によって支えられてこの時代を生き残ってきたのかもしれない。始めての受験を僕は送ることにより、初めての高校受験では惨敗してO君とは別々の高校に行くことになってしまった。O君一家から富士急アイランドにも旅行まで連れて行ってくれるほど親交が深くありがたい気持ちであった。人生初めての浪人生活が始まった。


【高校】:同級生とのネットワークが途切れ始めて孤独になるロードを歩む事になる。みんなが高校デビューを果たしている中、親が一生懸命頭を下げて塾に通い始めて再受験のために必死でやってきた。その当時は、親も悲しんだし周りも陰口を言われるようになった。泣き泣き机に向かって受験勉強に励み、周りの遅れを取り戻すかの如く必死に努力をした。2010年ごろ鳩山政権が「公立高校授業無償化」の政策立案がされる事により親の考えを尊重する事で公立高校への進学に向けて受験勉強に励んだ。そのストレスやプレシャーにかられ、風疹が発生や生まれながらの喘息や肺炎が起きてしまい地元の総合病院に救急搬送される事態にまで陥ってしまった。それから、一晩入院をして復帰する事となった。困難を乗り越え、歯を食いしばっても合格してやる事を目標に達成するため受験合格への栄光を勝ち取った。上位県立高校まで無事に入学すると勉強の嵐がまた始まり、今度は失敗しないようにコツコツと予備校に早い段階から通い始めて勉強を始めた。その甲斐があったおかげで成績も上位国公立大学の推薦は成績を収める事ができ、全国模試ではトップ10にまで上り詰めた。結果、第一志望の国立大学への2次試験まで進んだが、不合格となりまたもや浪人生活が始まった。この時のまだ19歳であった。


【大学生】:O君が成人式の前日に地元のサイゼリヤで初めてのワイン一気飲みをする事により苦労が絶えない事を話しまくった。O君にとったらさぞかしつまらないだろうし看病してもらった記憶がある。当時は、大学名や型にだけ囚われるなど、たくさん話したのは心を許せる友達だからだと思います。結果、第一志望の大学ではないが、滑り止めの大学に入る事にはなったが努力が報われず、このストレスを発散する為に、授業をほったらかしにして大学時代の知り合いからパズドラが入れ浸り授業をそっちのけで朝から晩まで熱中し廃課金までに周りから僻まれるようになった。学部必修科目であった公法学を4年連続で落としてしまい、殆どの人が履修しても全て落とされることになり大量な留年生を出してしまっている教員であった。その後、他の教員に泣きつき頭を下げて何とか救済してもらい無事に卒業する事が出来た。同級生は、有名大企業・国家公務員・裁判官・財閥系のメガバンク・大手ゼネコン・不動産・などの就職や法科大学院にも進学する人もいた。その中で、他大学の研究大学院に受験をする事となった。ここで1浪1留が確定。

 

【大学院生】: TOEICで数回受ける事により850点をたたき出す事が出来た。就活もしていないせいで後期試験に向けて対策する事になった。このままじゃまずいと思い、大学院試験の予備校を探すと、神奈川県の川崎市(最寄り駅は向ヶ丘遊園)にある進研アカデミー大学編入や院試のプロに相談をした。滑り込みで、受験プランを考えてもらい受験できる分野の変更を今後の将来性のある公共政策・雇用政策・環境経営・ESG投資など、見事的中し院試には合格した。修士論文の審査が通らないどころか勝って気ままの教員なので相手にするのが大変すぎ疲れ果ててしまった。指導教員との相性は合わないので人間関係に困っている。進路や将来の事ばかり考えこんでしまい心療内科の先生にも相談したところ、頑張りすぎてうつ病になってしまった。今は、定期的に通院して気分を上げる薬と睡眠薬を飲んで心身的な回復傾向にある。別の大学院に進学するか、就活するのかの二択にあり人生の岐路にある。1留が確定。合計人生への諦めが計5年ある。


【今後の目標】:研究や将来の事を一人で考えると、余計不安定になってしまいかつての知り合いとの繋がりや現状を客観的に把握してほしいのと分析能力やアンケート調査・ロジカルシンキング・論理的な文章構造などを活かした行動を起こした。将来を共にするパートナーが欲しくなる年頃になってきた。そんな中、同級生は刻々と結婚をして子供がいるなんて驚きが隠せない状態にある。容姿・向上心など人間的な側面で好感を持ってくれている異性はいるのは事実である。今現在は、就職活動にシフトしているが、面接はなんなく通っている。様々な業界を視野に入れてペット(フード)保険のコンサル社労士・税理士・行政書士などのサポート業務コンサル・コンサルティングファーム(独立系)・IT・WEB業界であるウェブマ・ITエンジニア・マスコミ業界・ベンチャー企業・人材コーディネーター・専門商社・財団法人・独立行政法人など準公務員等を視野にいれている。


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